小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

305 肘折温泉にて コーヒーの思い出(1)

山形県肘折温泉は、すり鉢の底のような、谷の底辺部に位置している。もう5月というのに、道路の周囲にはまだ1㍍余の雪がしぶとく残っていた。

車はのろのろと走っているのに、その振動で残雪がいまも雪崩となって襲ってくるのではないかと心配になるほどだった。

私たちはくたくたに疲れていた。肘折温泉の近くの大蔵村というところで、ひどい山崩れがあったのは数日前のことだ。

私たちは仙台からこの山崩れの現場を取材にきていた。崩れた土砂や家の下敷きとなって20人もの人が死んだが、現場近くの小学校を前線基地に不眠不休で取材活動を続けた。ようやく取材が一段落して、畳の上に寝たいと肘折温泉に向かったのだった。

何しろ、山村ゆえ、現場付近には宿は全くなかった。温泉の周囲は緑の芽がようやく出たばかりで、灰色の世界から緑の世界へと次第に移ろいを始めている。

ひなびた温泉の熱い湯に入って、私はそれまでの疲れがすうっと消えていくように感じた。考えてみれば、3日3晩寝ていなかった。それでも、妙に目が冴えて眠くはない。温泉から上がって飲んだビールがうまかった。

不謹慎かもしれないが、その時、私は山崩れで犠牲になった人たちのことは忘れてしまっていた。

つい数時間前までは修羅場にいたというのに、人間というやつは不可解で身勝手な動物だといまになって思う。人も物も、強力なエネルギーに押しつぶされ、ひとたまりもなくペシャンコになっていたのだが、ビールがのど元を通り過ぎると、つらい光景はどこかに行ってしまったのである。

食事が終わって一息つくと、いつもの習慣を思い出してしまった。コーヒーである。私は宿を出ると喫茶店を探した。時間はまだ夜の8時を過ぎたばかり。

目指す喫茶店はすぐに見つかるはずだった。ところが、どこをどう探しても、それらしい店はない。うろうろ歩き回って、あきらめた私はとぼとぼと宿に引き返した。

人間の出会いというのは、何と形容すればいいのだろう。目に見えぬ糸で結ばれているのだろうか。悄然と宿に帰った私を若い女性が呼び止めたのだ。よほどがっくりとしていたのだろうか。

(続く)

(注)肘折温泉は、山形県大蔵村にあり、開湯1200年の歴史がある伝統の温泉だ。この温泉の思い出を3回にわたって掲載します。