小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

303 教員汚職と書店通り魔事件に思う 鈍感政治への警鐘

猛暑が続く中で大分の教員汚職事件、八王子の書店通り魔事件とまるで世紀末的な事件が相次いで起きている。

世紀末とは、一つの社会が最盛期を過ぎて退廃的な現象がみられる時期を言うのだが、21世紀に入ってまだ間もないとはいえ日本社会は精神的にも退潮の一途をたどっているのだろうか。

先生と呼ばれる職業はそう多くはない。弁護士や医師、議員もそう呼ばれるが、文字通りの先生はやはり教師だろう。教育は「聖職」ともいわれるのだが、大分の事件の広がりをみていると、もはやそうした見方が幻想だったといわざるを得なくなる。拝金主義」が教育の世界にも蔓延しているということか。

だが、多くの教師は懸命に教育に取り組んでいるはずだ。かつて、何人かの信頼できる教師とめぐり会った。その影響で好きになった教科も少なくない。

二十四の瞳」の女先生のような、いつまでも生徒たちに慕われる先生は教育界には多いはずだ。こうした先生たちの奮起を願うばかりだ。

秋葉原の通り魔事件には背筋が寒くなる思いをした。それに続く八王子の事件である。犠牲になった中央大生にかける言葉もない。自分の生活がうまく行かないはけ口を、凶器を持って他人に向ける。

「短絡」といってしまえばその通りだが、今回の犯人と秋葉原の犯人には共通性が多く、現代社会の病巣がそうした犯罪者を生み出す要因になっているに違いない。

社会の歪みが増した結果、自分の境遇に不満を抱き、それが原因で重大な犯罪を引き起こす。そうした階層が次第に増えつつあることを最近の事件は示しているのではないか。これは決して他人事ではないのである。

哲学者の梅原猛は「後期高齢者医療制度」を批判したエッセー(6月16日、東京新聞夕刊の思うままに)の中で、次のように書いている。

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私は、現代は危機の時代であり、このままではやがて自民党の末期どころか、人類の末期がやって来ると思う。このような危機に対して今の政治家はあまりに鈍感である。それゆえにこの問題(後期高齢者医療制度)によって自民党の末期とともに人類の末期の到来を深く憂い、その対策を考えることに政治家が目覚めるとすれば、それはあるいは過ちの生んだ幸いになるかもしれない。

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単に医療問題だけでなく、いまの社会全般に対し、政治家は鈍感になっているように思う。連続する凶悪事件は、そうした鈍感政治に対する警鐘でもある。