小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

281 パーキンソン病に侵されても 言葉-解体することなく

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いつもまぶしい存在と思っていた同年代の1人が難病のパーキンソン病に侵され、職場を去ってからかなり時間が経過した。病と闘いながら原稿を書き続けていると聞いていたが、つい最近、彼から「言葉-解体することなく」という本が届いた。それは20数編のエッセーをまとめた123頁の薄い一冊だった。著者は伊佐木健さん。私と同時代を歩んだエッセーは、どれもが輝きを持っていて、いとおしさとノスタルジアを感じながら頁をめくった。 パーキンソン病は、ここで書くまでもなく、脳の中の黒質といわれる部分の神経細胞が何らかの原因で減ることによって運動障害を起こす病気だ。手足の震えや緩慢な動作、歩行困難など、この病気はさまざまな症状を起こす。原因は不明だが、50-60歳代の中高齢者の発症が多いそうだ。 伊佐木さんとの出会いは忘れていない。お互いがまだ20歳代、場所は井上ひさしの「青葉繁れる」が舞台の仙台だ。季節は夏。彼は颯爽と流行のサファリルック姿で私の前に現れた。サファリ服の白さと理知的な表情が目に焼きついた。いつも礼儀正しくて優しい。後輩を決して呼び捨てにはしない。「さん」か「君」をつけて呼ぶ。 仙台から東京へと同じ時代を歩んで、私はいつも彼の真っ直ぐで純粋な精神を感じていた。社会部記者として彼の書く記事には、一本筋が通っていたからだ。一緒に仕事をする機会はなくとも、仙台時代の仲間との会合で彼の話を聞くのは楽しみだった。それによって社会部記者の原点を確認できたのだ。 彼は社会部からテレビ局に出向した。新しい世界で彼の力は発揮されたはずだ。だが、病魔が彼の身体を蝕み始めたのはこのころではなかったか。テレビ局から戻ってきた彼は、以前の、まぶしいばかりの彼ではなかった。パーキンソン病に侵されたことを聞いたのは間もなくだった。 そして、数年後、彼は静かに私たちの前から姿を消した。だが、彼は健在だ。それは「言葉-解体することなく」を読むと、理解できる。本の題名にもなったこの言葉は、彼が学生時代に書いた詩にある。 -やがて、ぼくたちの青春が、ぼくたちの怒りが、ぼくたちの憧れやぼくたちの夢が書棚に並べられた本の白い背表紙が次第に黄ばんでいくように 色褪せ 埃をかぶっていく時が来るであろう…… ぼくたちを酔わせた言葉が、ぼくたちがみずからの激情をみずからの手で書きつけた言葉が 解体し 深い鉛色の時間の流れの底に 静かに沈殿していく時が来るであろう…… この詩をもとにした冒頭の「言葉-解体することなく」の短文をはじめとして、この本は彼の生きた証を記している。病を押して、車椅子を持って妻とともにアメリカのマンハッタンを訪問する「遙かなり マンハッタン」を読んで、伊佐木さんはやるなと思ったものだ。 この本からは、身体は病んでも健全な精神を持続する伊佐木さんの姿が浮かびあがる。手に取った人は、年輪を経ても人生では「純粋さ」を忘れてならないことを再確認するはずだ。 伊佐木健著「言葉-解体することなく」 は龍書房、1500円。伊佐木さん共同通信社記者を経て、著述業。ほかの著書に「僕たちの青春の時代」「我が心の内なる遙かなコンミューン」「夏の終わり」「あの美しい海へ」などがある。