小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

191 雨の鎌倉 八幡宮では結婚式

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11月も中旬に入ったのに、鎌倉の紅葉はこれからという印象だった。幼いころの友人たちと雨の中を歩いた。それは、鎌倉の通には、あきれられるくらい、「鎌倉入門」のコースだった。そういえば若いころ、このコースを1人で歩いたなと思い出した。 北鎌倉で横須賀線を降りると、だれでも知っている円覚寺だ。700年前の蒙古来襲に対応した北条時宗が、2回の激戦で亡くなった日本、モンゴル両軍の死者を弔い、彼の精神的支柱である臨済宗の禅の普及のために建立した。国宝・舎利殿は、雨の中でひっそりとしている。訪れる人は、年配者が目立つ。雨だから、若い人はやめたのだろうなと思う。 続いて東慶寺に行く。故郷の中学校の上に同じ名前の寺がある。その寺はたしか日蓮宗だったと思う。鎌倉の東慶寺は、尼寺でかつて「駆け込み寺」といわれた。不幸な女性を受け入れ、尼としてその後の人生を歩ませた。 東慶寺は季節の花で知られている。いまはりんどうの季節だ。寺によると、このほかホトトギス、十月桜、さざんか、姫蔓そば、せきやの秋丁字、桜蓼、数珠玉など、秋の花も多いという。山道を歩くといろいろなお墓があった。岩波書店の岩波雄二郎の墓が目に入る。 次の寺は、建長寺だ。ここも臨済宗の禅寺だ。鎌倉五山の第一位に位置する寺で、鎌倉五代執権の北条時頼がいまから約750年前の1253年に建立した日本最初の禅寺という。円覚寺もそうだが、禅は私にとって縁のないものだ。 体力と精神力が要求されるからだ。特に、長時間、座禅を組む自信はない。だが、円覚寺にしても建長寺にしても、人通りが途切れると、静寂が訪れる。そうした雰囲気を少しながら味わうことができれば、雨の中で鎌倉を歩いたことを前向きにとらえることができる。 腹が減ってきた。鶴岡八幡宮まで歩く途中に昼食の店を探すが、これぞというところはなく、八幡宮まで歩いて、門前近くの蕎麦屋に入り季節の野菜天ぷら蕎麦を食べる。これがなかなかいい。実は、前日にも所用で横須賀まで行き、昼に飛び込んだのが蕎麦屋で、同じように野菜天ぷら蕎麦を食べた。二日続きの野菜天ぷら蕎麦の味は、甲乙つけがたかった。 遅い昼食後、八幡宮に行く。すると人だかりがしている。結婚式だった。結婚式に参列した人の中には、コートを着たままに式に参列していた女性もいた。最高気温が14度とはいえ、コートぐらい脱げばいいのにと思ったのは私だけではあるまい。家に帰って妻に聞くと「きょうは仏滅よ」という。だが、何組かは結婚式をしていた。 野次馬根性でカメラを向ける。和式の結婚式だ。新婦は白無垢の花嫁衣裳である。けっこう落ち着いている新郎新婦だった。たぶん、30歳半ばは過ぎているかもしれない。衆人環視の中での結婚式を挙げた2人はこれからどんな生活を営んでいくのだろうか。 帰りに、鎌倉名物の土産「鳩サブレー」を買った。一緒の友人たちは「この店は大丈夫かな」と話す。食に対する疑心暗鬼が多くの人々の心を占めている。明日朝にでもコーヒーを飲みながら味わってみようと思った。この菓子は、コーヒーやお茶には合うはずだ。