小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

192 続「always3丁目の夕日」 鉄腕稲尾投手時代への郷愁

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 昨年大ヒットした映画の続編である。作家志望青年と隣の自動車修理工場を取り巻く人々の物語を軸にしているのは、変わらない。方や芥川賞を目指し、方や事業に失敗した親戚の娘を預かる。 それに町内の人々が絡んで物語は面白おかしく進んでいく。昭和30年代は、日本が敗戦から立ち直り、復興の道を歩み、次に来る高度成長へと突き進む序章の時期でもあった。 いまから見ると、貧しい時代だった。

 しかし、暗さはなかった。どん底からはい上がり、明日への希望があった。それが私の生きた30年という時代だった。続「always 3丁目の夕日」に出てくる小学生3人。それは私の小学生時代を彷彿させるものだ。

 映画の筋は、これから見る人たちのために書くことはやめよう。だが、郷愁を味わうには、こうした映画は最適なのかもしれない。なぜ、郷愁を感じるのか。それは、現代に生きる日本人が失った何かがこの時代にはあったと思うからだ。

 いま、田舎暮らしがブームのようである。特にことしから始まった団塊の世代の定年退職によって、そのブームはさらに拡大しているようだ。30年代の日本が田舎には残っているといったら、怒られるかもしれない。 しかし、生活は変わっても、人情は変わっていないはずなのだ。田舎暮らしのよさは自然の豊かさ、美しさはもちろんだが、人情の豊かさに接することができるからだと思う。 そうした人情の豊かさがこの映画の時代は残っていた。それを主題にしているために、共感を呼んだのだろう。

 最後に筋を少し。売れない作家志望青年は芥川賞の最終選考に残る。一方、自動車修理工場に預けられた娘は父親に引き取られる。そして-。詳しくは映画をどうぞ。 今回も3人の子役がいい。過去を振り返ることはしないという人がいる。だが、私たちは過去という歴史の中で年輪を刻んできたのだ。3人の子役の中に過去の自分を見出すことができたら、この映画を見た時間は無駄ではなかったのではないか。

 追記 13日、元西鉄ライオンズの鉄腕投手、稲尾和久さんが亡くなった。70歳だった。昭和30年代のプロ野球の興隆に大きな足跡を残した大投手であり、「神様、仏様、稲尾様」という言葉はいまも記憶に残っている。「3丁目の夕日」の時代に生きた人々のヒーローでもあった。