小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

160 2つの殺人事件に衝撃 8月の終わりに

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8月、2つの事件に衝撃を受けた。名古屋のネットで知り合った男3人による女性殺人事件と警視庁の警官の拳銃を使った女性殺害事件だ。 犯罪はその時代を映すとよく言われる。2つの事件を見ていると、現代社会の病弊を色濃く反映しているように思えてならない。2つの事件の被害者は無念だったに違いない。 金に困った3人の男がネットで知り合い、本名も隠して見ず知らずの女性を拉致して、金を奪ったうえ、簡単に殺してしまう。フィクションではないかと耳を疑った。 しかし、現実に事件はあり、事件を計画した男は「死刑になるのが怖いから」と自首したのである。人を殺しておいて、自分の命は大事だというこの落差。短絡的な人間がこんなにも増えたのはどうしたことかと思う。 警視庁の警官は、ストーカーだった。そのあげくに勤務中に制服姿で女性の住宅に行って、警察用の拳銃で女性を射殺して自殺した。警察は「無理心中」と発表して、新聞やテレビの扱いも最初はそう大きくはなかった。 事の深刻さを考えれば、新聞では一面のネタといっていい。しかし、「無理心中」という発表によって、扱いが一面から社会面に移ってしまった。 その後、警察官の異常さが次々と明らかになり、新聞の扱いも大きくなっていく。以前、警視庁の巡査が勤務中に制服姿で女子大生のアパートを襲い、強姦したうえ殺害するという事件があった。 この事件では、当時の土田警視総監は責任をとって辞任した。当然だ。しかし、今度の事件では、矢代総監が謝罪したのは、事件発生からだいぶ経過してからのことだ。それも署長会議の席上であり、この件で記者会見をしたという話は聞かない。事の重大さを感じ取るのが遅すぎたといわざるを得ない。 世界一安全な国といわれた日本が、いまやその代名詞を失いかけている。この8月は歴史的な暑さだった。2つの事件は、そうした酷暑だったゆえの一過性の事件とはいえないのが残念だ。朝青龍騒動に多くの時間をかけるテレビを見ていると、日本人はものを考えることができなくなりつつあるのだと心寂しくなる。ものを考えない人間は他の動物より始末が悪い。