小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

145 「戦争紀行」 日中戦争の実相を描く本

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「戦争紀行」(発行・いりす、発売・同時代社、2500円)という本がこの8月出版された。この本の出版にかかわり、解説めいたことを書いた。この本は、昭和の中でも大きな歴史に位置付けられる日中戦争がテーマだ。著者の杉山市平氏は既に故人だが、学生時代に召集され、3年半にわたって中国で兵隊生活を送った。その戦争体験記である。以下に「戦争紀行」のあとがきとして書いた文章を一部割愛して紹介する。 この作品は東大(当時は東京帝大)在学中に召集され、日中戦争最中の中国で3年半にわたって軍隊生活を送った戦争体験記である。著者はこの三年半について「その期間、一人の旅人として戦争を旅したに過ぎなかった-友と会い、そして離れ、敵と会い、そして離れ、戦場の山と川と町を見、死と会い、その死とも離れて、帰ってきた」と淡々と書く。だが、作品は透徹した一兵士の眼で当時の軍隊の内部の実情や中国民衆の様子、各地の光景を微細に描いていて「ものを考える」青年兵士の魂の記録として読むことができよう。 驚くのはこれだけの作品なのに、記憶を頼りに書いたということだ。著者は、除隊時に没収されてしまうといわれていたため日記をつけなかったという。だが、その記憶力の確かさ、観察力の鋭さには恐れ入るばかりだ。著者は後に同盟通信社(戦後、共同通信社)に入社し、ジャーナリストとしての道を歩み始める。 その原点は軍隊の様々な体験だったのではないだろうか。生きることを体も心も緊張し続けた過酷な体験を通じて、批判精神や観察力が徹底的に鍛えられ、筋の通った記者活動をしたのだと思う。それはこの記録を読めば想像できることである。 日本と中国の関係は、ここであらためて記すまでもなく、9.18満州事変、旧満州国の建国など、旧満州中国東北部)をめぐる植民地化の動き、さらに1937年7月7日の盧溝橋事件から勃発した日中全面戦争と、日本側の一方的な思惑による不幸な事態が続き、この不条理な状況は容易に終止符を打つことはなかった。 この結果、望むと望まざるとにかかわらず、多くの日中の国民が巻き込まれ、多大な犠牲者が出たのは言うまでもない。そうした時代に、大学に進学した著者も一兵士として、自分の意思に関係なく、中国大陸の土を踏み、中国民衆の言う「鬼」の仲間入りをしたのである。 京都の三高時代に2・26事件の発生を知り、戦争への足音を聞いた大阪出身の著者は本籍地の佐渡で兵隊検査を受け、第二乙種と認定される。1938年に東大を受験し、ドイツ文学科に合格する。きな臭い世情の中、学生時代の著者がどのような青春を送っていたかは、前段階で詳しく書かれている。飄々としながら、冷静に時代を見つめる著者の精神を感じ取るのである。(続)