小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

114 私が住んだ街6・札幌 優しい人々

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札幌人気質という本がある。いまから約5年前に北海道新聞社から発行された「さっぽろ文庫」シリーズの99冊目の本である。

その帯に「札幌っ子はいいふりこきか、進歩的なのか、大ざっぱなのか、それともおおらかなのか、北の女は凛として美しいか、陰影にかけるのか」という名コピーが載っている。このコピーにほぼ札幌の人たちの気質(かたぎ)が表現されていると思われる。

私は、2回にわたって、札幌に住んだ。合わせて3年半という時間は、いま思うと短すぎた。とはいえ、濃密であり札幌と北海道への思いはいまも格別である。

地下鉄南北線東西線の2つの駅に近いマンションに暮らした。そこでの暮らしを通じて、この街の長所、短所も経験した。過ぎ去ってみると、短所の方はすべて忘れた。

地下鉄に乗って驚いたことがある。各車両に優先席がある。老人や障害者用に用意された席である。

ラッシュアワーの時間でも、この席にはだれも座らない。もちろん、老人や障害者が座ることもあるが、この人たちはこうした時間を避ける。だから優先席は空いている。しかし、一般客はここには座らないというのが常識なのである。

東京を含め、北海道以外の地域ではこうした光景を見たことはない。それだけではなく、若人が堂々と座り、しかも「優先席では携帯電話の電源を切ってください」というアナウンスを無視して携帯をいじっている。

札幌の地下鉄を利用した者には、こうした若者の姿(実は最近はいい年をしたおじさん、おばさんもやっている)は違和感がある。それは「いいふりこき」なのだろうか。

札幌を含め、北海道は沖縄とともに日本の外れである。そうした地理的条件だけでなく、ぎすぎすしない、大らかな人間性が優先席に無理しても座らなくともいいという行動につながっているのだと思うのである。

「いいっしょ」という言葉がある。この響きは札幌人気質を現しているように思える。「いいでしょうね」という意味だが、強制的な響きはない。どことなく、緩やかに同意を求めるニュアンスがある。好きな言葉である。

     (写真は大通公園よさこいソーランで踊る女性たち)                                     

                                       

                                        (続く)