小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

107 私が住んだ街3・仙台市 青葉城の思い出

さとう宗幸の「青葉城恋歌」は青春の歌である。しかし、私が仙台で暮らした時代、この歌はまだなかった。東北新幹線も開通していなかった。この歌の冒頭に出てくる「広瀬川」にはよく遊びに行った。河原で野球をやり、弁当を食べたことがきのうのように思い出される。仙台は美しい街である。

仙台は東北の中心都市である。仙台がある宮城県は元々伊達藩が長く続いた。伊達政宗で知られる通り、質実剛健さが伝統である。それが宮城の県民性だ。一方他の東北5県はそれぞれ独自の文化を持ち、県民性も違う。それゆえに仙台よりも東京を目指す若者の方が多いのではないか。

酒を飲むとよく青葉城に行った。仙台市内の夜景を見ながら滝廉太郎の「荒城の月」を歌った。カップルたちには迷惑だったようだが、それがストレスの発散になった。土井晩翠青葉城を思い描いて有名な詩を書いたと聞くが真相は分からない。

次に仙台で好きな場所は「野草園」である。さまざまな野草があるが、ここで見る萩はどこよりも美しい。仙台在住の作家、佐伯一麦の作品「鉄塔家族」の中でも野草園と思われる植物園が登場する。日経新聞で連載したこの小説は、仙台とみられる東北の地方都市で暮らしている小説家とその妻で草木染作家の2人を軸に、街のシンボルである「鉄塔」の麓で暮らす人々の日常を描いている。

数年前に出版されたこの小説を読んで、野草園や仙台の街を思い出し、仙台に行きたいと思ったものの、まだ実現していない。

仙台の新聞社に勤務していた友人が、定年後仙台郊外にある街で蕎麦屋を開いた。記者時代から蕎麦打ちの修業をして、退職後に長年の夢を果たしたのだ。10年近く店を続け、体力の限界を感じたのか最近廃業したと聞く。彼の口癖は「働くことが一番だ」ということである。仙台人の真骨頂ではないか。(07.4.8)