小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

61 平和の代償 塩野七生の本音

ローマ人の物語」(全15巻)を書いたイタリア在住の作家、塩野七生(しおのななみ)が、テレビ番組で作家の五木寛之と対談し、現代日本の世相について触れ「いま様々な問題が起きているのは平和の代償だ」と話していたことが頭から離れない。

2人の対談は、いまの日本で起きている教育の混迷、いじめめ問題などに及び、塩野は冒頭の発言をしたのである。

戦後61年、敗戦から立ち直った日本は、驚異的に経済が成長し、しかも平和な時代が続いた。その結果の裏返しでいじめや家庭の崩壊といった悲惨な現実に直面しているのである。

塩野は「平和だからこそこうした問題が起きる。戦乱の時代にはこんなことは起きなかった。いじめなどをする余裕はなかったから」と語っていた。

塩野はもちろん好戦主義者ではない。平和な時代を送りながら、社会構造の歪みに気がつかなかったわれわれ日本人の怠慢に、あのような厳しい表現で釘を刺したのだろう。

息の長い筆使いで古代ローマの興亡の歴史を描いた塩野が、戦後61年の日本の姿をこのように指摘したことは無視はできない。

61年という時間、空間は長い歴史から見ればごく短いものにすぎない。その歴史とともに私たちの世代は生きてきた。得たもの以上に、失ったものが多かったのではないか。塩野の指弾は、そうした時代をつくってしまった私たちの生き方に向けられたといっても過言ではない。

2007年の日本社会がどのように推移するのか、予測は難しい。しかし、塩野が言うように、平和の代償としての歪んだ事象が相次いで発生することはほぼ間違いないと予測することができる。

新聞やテレビでは、3浪の歯科医の次男が妹を殺し、遺体をバラバラに切断した事件を大きく報道している。「事件は世相を映す鏡」ともいう。長い平和によって日本人の心に隙間風が入り込んでいるとしか思えない。

札幌の地下鉄は例外としても、電車の優先席に悠然と座り、携帯電話でメールを打ち続ける若者の姿が珍しくない日常の光景は、自分さえよければいいという考えが横行する日本の現実を象徴しているのではないか。