小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

62 ある知人のこと 人生とは

  以下は知人の身に起きた話だ。

  悲しくてたまらない。人生にはこのような愛の形もあるのだ。

  知人は東京のある企業を定年退職後、北海道のある町に家を建て、田舎暮らしを始めた。彼は、転勤のため数年間この町に住んだことがある。以来、この町に魅入られ、東京に戻ってからも、定年後にはあそこに移住するのだと周囲に言い続けた。

  その夢を実現するには、住居を確保しなければならない。しかし、北海道が好きでたまらないという情熱によってこの難問をクリアしてしまう。在職当時につくった友人たちが彼の夢実現に協力し、定年後1年を経ずして町の郊外に山小屋風の新居が完成した。

 奥さんは北海道移住の決心がつかないまま東京に残り、彼1人の北海道暮らしが始まった。寂しいことはない。町には友人がおり、会社の支局があって後輩たちもいる。北海道の自然の撮影がライフワークでもある彼には、自宅でのんびりする余裕はない。冬には、除雪機を購入し、汗を流しながら除雪をするのが日課となった。それがまた、奥さんがいない寂しさを紛らす材料ともいえた。東京からは、友人たちが次々にひやかしにやってくる。

  数年が過ぎた。東京での暮らしに区切りをつけた奥さんは、北海道に行くことを決心した。ことし4月下旬のことである。2人の北海道での暮らしが始まった。それは間もなく来る別れの序章ともいえた。

  時を経ずして、奥さんは腰の痛みを訴えた。彼の知り合いの病院で診察を受けさせると、深刻な病気であり、それが末期の症状を呈しているという診断だった。入院しても無理なほど病状は進んでおり、新しい家で療養することになった。医師と看護師は毎日往診してくれるが、痛みを訴え、次第に衰弱していく奥さんの介護を彼が担当した。アメリカに留学中の一人息子も駆けつけ、介護を手伝った。

  家族にとって、それは別々に暮らした数年を取り戻すに足る濃密で凝縮された時間だっただろう。

  そんな時間の終わりの日がきた。介護を始めて4ヵ月が過ぎた8月のある日、奥さんは息を引き取ったのである。2人は学生時代の同級生だった。やんちゃな彼を奥さんは包み込むような愛情で支えていた。東京と北海道に一時別れて生活をしたが、心は通い合っていたはずだ。だから、亡くなるまで、奥さんは彼の懸命の介護に感謝していたという。

  私が彼の奥さんの死を知ったのは、だいぶ時間がたってからだ。彼は奥さんの死をごく身内にしか知らせなかったのだ。静かに奥さんと別れたいという彼の気持ちは痛いほど分かる。いま、奥さんの死から立ち直った彼は、奥さんが東京から連れて行った老犬と暮らしている。

  周囲には、暖かく彼を見守る友人たちがいる。彼はこの冬も、自宅の庭で除雪機を動かし、汗を流しているはずだ。そのわきで老犬がその作業を見守っていることだろう。