小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

53 硫黄島(続) 戦争を直視

硫黄島を含め、太平洋戦争で米軍が日本向けに途中から多用したのは、火炎放射器だった。塹壕、ジャングルに隠れた兵隊だけでなく、沖縄では非戦闘員の一般市民にまで無差別にこの兵器を使い、焼き殺した。

それは目をそむけたくなる残虐な行為である。それが戦争だ、といってしまえばそれまでだが、身内を戦争で失った家族は、映画であってもこうしたシーンを正視できないことはいうまでもない。

講談社が創業100周年記念出版として刊行を始めた「興亡の世界史」の第一弾「空の帝国 アメリカの20世紀」(著者 生井英考共立女子大教授)の中で、生井はこの兵器の開発に触れている。

それによると、第二次世界大戦初期には、敵の油断や弱点を衝くスマートな用兵法が重視されていたのが、戦争の長期化に伴って集中砲火やじゅうたん爆撃による徹底的な破壊と、火炎放射器などの兵器を使った強引な正面攻撃が主流になったのだという。

現在では、米軍に顕著になっているこうした力ずくのやり方は、実は欧州で始まり、米では長い間敬遠されていた。米軍が火炎放射器を初めて採用したのは1942年のガダルカナルの戦闘だったという。

それにしても、人間は極限においては残虐な行為をするものだと思う。兵器や武器が次々に開発され、究極は人を殺すために使われるのだ。それが人類の歴史なのだとしても、平和を希求する思いに諦観(あきらめ)を抱いてはなるまいと思う。