小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1851 新型コロナウイルスにどう立ち向かう『ペスト』の人々を思う

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 人口が1100万人を超える中国湖北省の大都市、武漢市の公共交通機関は23日午前から全ての運行を停止した。同市で発生した新型のコロナウイルスによる罹患者は拡大を続けており、同市は事実上の閉鎖状態になった。 

 人類の歴史はウイルスとの闘いでもある。今回の発生源はコウモリや市場で売買された野生の蛇など諸説あるが、ウイルスは人類の想像を超えた繁殖力を持っていると思わざるを得ない。私はこのテレビニュースを見ながら、ついカミュの小説『ペスト』の世界を思い起こした。  

 報道によると、武漢市政府は23日午前10時(日本時間午前11時)から、コロナウイルスによる肺炎の感染拡大を抑えるため市外に出る航空便、鉄道、市内全域のバスや地下鉄などの公共交通機関の運行を停止する措置をとった。さらに市民には「特別な事情がなければ武漢を離れてはならない」と呼びかけた。これは事実上の市内封鎖といっていい。正月を祝う春節が24日から始まる直前の、中国ならではの強硬政策といえる。  

 中国特有の現象である黄砂は目に見えるから、身構えることができる。しかし、ウイルスは姿が見えない。それだけに不気味であり、拡散を防いでほしいと世界のだれもが願っているはずだ。家族がけがで入院している病院では、インフルエンザ対策のため面会は全面禁止になっている。病院に行くと、患者も病院側の関係者もほとんどがマスク姿だ。それほどに注意をしていても、ウイルスはひそかに人体に入り込んでしまうのだ。  

 冒頭に、カミュの小説『ペスト』のことを書いた。ペストに集団感染し、危機に瀕した町の人々がどう立ち向かったかを描いた名作だ。この小説を読んで、危機に瀕したとき人間はいかに団結してその問題に立ち向かうべきかを考えさせられ、絶望の渕に立っても希望を失わない人々の姿に人間の強さを感じた。では、武漢の人々はどのような思いで市内封鎖を受け入れたのだろう。  

 日本国内でも空港の検疫を強化するという。しかし、日産前会長のカルロス・ゴーンの国外逃亡を防ぐことができなかった関西空港の例もあり、対策は決して万全とは言えないだろう。それは世界の他の国も変わりはないはずだ。新型コロナウイルスが人類共通の闘いに発展することがないことを願うばかりだ。そのためにもWHO(世界保健機関)を中心に世界各国が情報を共有すべきだと痛感する。しかし、そのWHOの活動が心もとないと思うのは、杞憂だろうか。  

 1918年に世界的に大流行した「スペイン風邪」(インフルエンザA型)は、世界の5億人が感染し、推定では2500万人~1億人が死亡したという(日本の死者は40万人前後といわれるが、正確な統計はない。いずれにしても、本当なのかと思えるほどの恐るべき風邪の大流行であり、犠牲者は戦慄すべきほど多かった)。人類のウイルスとの闘いに終わりはないことを実感する。  

 写真 山形の友人Iさんの冬用の作業小屋  

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