小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

879 独裁者カダフィの末路 歴史は繰り返すのか

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 40年以上も独裁者として君臨してきたリビアカダフィ大佐が死んだ。身柄を拘束され、トラックで護送する途中の銃撃戦で被弾したのが致命傷になった。反カダフィ組織に身柄拘束されたとき、彼はコンクリートの穴の中に隠れていたという。独裁者の哀れな末路を感ずるのは私だけではないだろう。

 第二次大戦を引き起こし、ユダヤ人の大量虐殺を企てたヒットラーは、ドイツが降伏する直前の1945年4月30日に自殺をしている。ルーマニアの初代大統領で独裁者として知られたチャウシェスクは、ルーマニア革命が起きると、ヘリや車で逃亡を図るが、捕えられて妻とともに1989年12月25日に銃殺された。

 イラクサダム・フセイン元大統領がイスラムシーア派住民を虐殺した「人道に対する罪で死刑が執行されたのは、2006年12月30日のことだった。 社会が閉塞状態に陥ると、国民はそれを打開してくれるリーダーを求める。

 バブル経済崩壊後、元気のないわが国ではリーダーがほしいという声が繰り返し聞こえてくる。異端の小泉氏が首相になったのはそんな背景があるのではないか。 だが、リーダーはともすれば独裁者になる。それは世界の歴史が証明している。

 20世紀でいえば、前述の3人やスターリン、そして毛沢東北朝鮮金日成金正日親子がいる。日本史でよく言われるのが源頼朝大久保利通だ。これら、独裁者に共通するのが「猜疑心」だ。心が狭く、他人を信用できないから次々にライバルを倒し、独裁者になっていく。 いつの世でも人を殺めることは、してはならない絶対的な決まりだ。だが、独裁者たち(それ以外の為政者たちも含め)は、数限りない人命を奪った。穴に隠れるという末路をたどったカダフィも例外ではなかった。

 福島原発事故東京電力には勝俣恒久という会長がいる。また玄海原発運転再開説明会に絡むやらせメール事件の九州電力には松尾新吾という会長がいる。2人とも自分なしではこの会社はやっていけないと思っている企業リーダーであり独裁者といっていいのかもしれない。しかし、その末路はどうなるのかと考えてしまう。 いまの日本の政界には強力なリーダーシップを持つ政治家はいない。だが、危険な独裁者の芽を持つ人物は皆無ではない。油断はしない方がいいと思う。