小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

572 ポプラのように 09年旅の終わりに

画像 先日、「傘の自由化は可能か」という、大崎善生の一風変わったエッセー集を読みながら、九州の西端、枕崎から鹿児島中央まで約2時間45分、JR指宿枕崎線のロ-カル列車の旅をした。 大崎は日本将棋連盟発行の将棋雑誌の編集者を経て作家になった。

 札幌出身で、実家の隣の家にはことし亡くなった作家の原田康子(名作、挽歌の作者)が住んでいたという。原田とのかかわりを書いた「一本の大木」というエッセーには、大崎の作家としての思いが込められているようだ

原田が「海霧」という作品で2002年に吉川英治文学賞を受賞した際、大崎もその記念のパーティに出席した。そこで原田は次のようにスピーチしたのだという。 「隣の坊ちゃん(大崎のこと)が昨年(2001年)、吉川英治文学新人賞を受賞されてびっくりしていたら、今度は私が文学賞。私たちの住んでいる通りを吉川通りと名前を付けたらどうでしょうか」 大崎は、その後でこう書く。

「一人きりで机に向かう原田さんの姿は平原に立つ一本のポプラの木を思わせる。気高く、誇らしく、そして孤高にそびえ立つ一本の大木。いつの日かそうなれるよう私も頑張りたいと思う」

 ポプラは北海道のシンボルのような樹木である。そのポプラにたとえて大先輩への畏敬の念を示した気持のこもった文章だ。 無人駅の枕崎を出発したローカル線は、乗客もまばらだった。大崎のエッセーを読みつつ、窓外を見ると、百名山開聞岳が目に入った。

 太平洋戦争末期、鹿児島県知覧の特攻基地から出撃した戦闘機は開聞岳に向けて飛行し、薩摩富士といわれる山容を見たあと、連合国の軍艦に体当たり攻撃を敢行したという。そびえ立つポプラのような存在になってもおかしくなかった有為の青年たちは、開聞岳の雄姿に近づき、そして遠ざかりながら家族や友に別れを告げたのだろう。 戦後64年、日本は経済的に急速な発展を遂げた。

 しかし、彼らに「気高く、誇らしい国になった」と胸を張って報告することができるかどうかは疑問である。 枕崎を出て約2時間後、外は急に夜の闇がやってきた。その闇の先には、2010年という時代が近付いている。新しい年はどんな1年になるのだろうか、せめてこの暗さを抜け出してほしいという私の思いを乗せながら、気動車は闇の中を走り続けた。  

 2009年が間もなく終わろうとしている。オルフェウス室内管弦楽団が演奏するハイドン交響曲44番ホ短調《悲しみ》を聴いている。「悲しみを内に秘めた哀傷の世界がうたわれている」(解説より)。そう、この世には悲しみは数限りなく存在する。悲しみの次には、喜びがやってくるのだろうか。

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