小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1143 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(9)別れの時

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このブログでは、時々「hanaのつぶやき」と題して、hanaにまつわる話を登場させてきた。犬にどこまで思考能力があるかどうか議論が分かれるかもしれないが、私は「ある」と確信している。そしてhanaならこんな時こんなふうに思うだろうと想像し、hanaの立場で様々な日常的事象についてつぶやかせてみた。 そのつぶやきが最後になったのは、ことし1月16日のブログだ。(以下再掲) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ hanaのつぶやき・私の闘病記 きょうが抜糸でした 昨年暮れに、子宮蓄膿症という病気で子宮摘出の手術を受けた話の続きです。手術を受けたのは12月28日ですから、きょうで19日になりました。きょう、私は10日ぶりに動物病院に行き、血液検査と手術跡の抜糸を受けました。肝臓の調子がおかしかったのですが、先生は「肝臓の数値もだいぶ良くなり、手術の跡もきれいになっている」と、家族に話していました。その時の家族のうれしそうな顔は忘れることができません。 28日に緊急手術を受け、一晩動物病院に泊まった私は29日の夕方、家族に引き取られて家に戻りました。でも食欲は全くありません。衰弱した私を心配した家族は、30日、31日と続けて病院に連れて行き、年末年始返上で出てきた先生に点滴をやってもらいました。 元旦は少しだけ、食べることができましたが、まだ体がふらふらします。そのために、また正月から病院にお世話になり、2日、3日と点滴を受けたのです。そのあと、少し間を置いて6日の日曜日にも病院に行きました。少しずつ食欲は出てきていました。この日も点滴を受け、血液検査をしました。膿のたまった子宮を取ってしまったので、白血球は正常な数値に戻っていましたが、肝臓の数値が異常に高いと先生は話していました。このために、体がふらつくのでしょうか。 病院から戻って私の体の状態はだんだんと良くなってきました。朝と夕方の食事の時間には、薬をいやがる私のために小さな握り飯の中に薬(抗生物質と肝臓の薬)を入れ、それを鰹節でまぶして家族の掌に載せて食べさせてくれました。鰹節が薬のにおいを消してくれると、家族の一人が考えたようです。その通りでした。私は握り飯を飛びつくように食べ、薬も気になりませんでした。そのあとでペットフードを食べるのです。一時25キロまで痩せた私ですが、きょうは27キロになっていました。ベスト体重まであと0・5キロくらいだそうです。 散歩もこの頃では病気の前と同じようにやっています。家族は最初のうち、家の近所を回るだけで、私が用を足すと、すぐに家に連れ帰ってくれました。先週ごろからは自然に足が動くようになり、調整池の周りを歩くのが普通になりました。14日は大雪でした。夕方、家族と一緒に外に出ると、どんどん雪が積もってきていました。遊びにきていたミニチュアダックスフントのノンちゃんとともにリードをはずしてもらった私は、久しぶりに自由を味わい、雪の中を飛び回って気分は最高でした。 いま、お父さんは、新潮文庫の「いつも一緒に 犬と作家のものがたり」(新潮文庫編集部編)という本を読んでいます。19人の作家が犬との生活について書いたエッセー集だそうです。その中に私と同じゴールデンレトリーバーの雌も出てきます。 原田マハさんという作家の家で飼われていたマチュックという名前のゴールデンレトリーバーは、11歳5カ月でこの世を去ったのですが、マチュックとの出会いから別れまでの話を読んで、お父さんは泣いてしまったそうです。お父さんは、本を読んだ後、家族に「伊集院静さんも『犬であれ、猫であれ、他の動物であっても、ともに時間を過ごした友だちの死を見送る時の哀しみは言葉では言いあらわせない』と書いているよ」と、話していました。 私も、愛する家族といつかは別れる時がくることを今から覚悟しなければならないのでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 原田さんの作品は「ただいま。おかえり。」というエッセーだ。マチュックという雌のゴールデンレトリーバーとの暮らしを振り返っているが、マチュックを失った悲しみが漂い、涙なしには読めなかった。 11歳を過ぎたころ、マチュックの前足の付け根に腫瘍が見つかり、がんは全身に転移していることが分かる。「医師にはできるだけそばにいてあげてください」と、最後の時に近いことを告げられた原田さんは、夫と交代でマチュックに付き添うが、ある日6時間だけマチュックを残して仕事のため2人とも外出する。その間にマチュックは息を引き取ってしまう。先に帰った夫からの連絡でマチュクの死を知った原田さんが家に戻った時の描写は胸を打つ。 「―ただいま。ドアを開けた。マチュックの出迎えは、もうなかった。午後の日差しが降り注ぐリビングで、秋のやわらかな光に包まれて、マチュックの亡骸が横たわっていた。(略)ただいま、マチュック。帰ってきたよ。だめじゃない。あんなに待ってねと言ったのに。なんで待ってくれなかったの。私は、マチュックに抱きついて、声を放って泣いた。やせ細った身体には、まだ温もりが残っていた。待っていたのだ。―ぎりぎりまで。私たちが、帰ってくるのを」 hanaのつぶやきの最後で「私も、愛する家族といつかは別れる時がくることを今から覚悟しなければならないのでしょうか」という表現を使った。当時、その半年後に別れの時が来るとは想像もしていなかった。このころからhanaは病魔に蝕まれていたのだと思う。この表現は不用意だった。だが、だれもいない部屋で原田さんを待ち続けて死んだマチュックを思うと、hanaは家族に看取られて死んだのだから、少しは幸せだっただのかもしれない。(続く)
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