小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

295 「美しい」が死語の時代 拝金主義と美意識と

 美術家の森村泰昌さんと分子生物学者の福岡伸一さんの『「美しい」って死語ですか』という対談が朝日新聞(7日付け朝刊)に掲載された。2人は対談で、最近「美しい」という言葉が語られなくなったと言う。そういう時代に突入したのだろうか。

 2人の話の主要部分を要約すると―。

  ―バブル経済のころから「美しい」に変わる言葉として「カッコイイ」が使われ、最近は「カワイイ」になり、それ以外の価値観は「ダサイ」ということばでとらえる。価値をはかる一番の物差しがお金になってしまった。結果だけが評価され、プロセスはどうでもいいことになる。―

 ―競泳の水着の問題も同じで、スピード社製でタイムが速くなると、選手が別のメーカーと契約していても、日本水連はメダルを取るために着用を自由にした。約束は必ず守るという美学が勝ったもん勝ちに変わり、何が美しい生き方かということよりも、1等賞になれるかどうかが価値判断の基準になってしまった。美しいと感じるものの裏に美しい怖さもあって、そのゆれが大切なのに、それを少しずつ見失っている。―

「拝金主義」という言葉はあまり好きではない。しかし、2人の対談を読んで頭に浮かんだのがこの言葉だった。これを基準にして現代社会を見ていくと、なるほどと思うことばかりである。

  例えば水着問題では、どの報道機関も契約の信義を飛び越え、いい成績のため、他の国と公平にという視点でしか報道していない。五輪に出る以上は「1等賞を」という価値判断なのだ。日本のプロ野球選手が次々に米大リーグに挑戦する。挑戦といえば聞こえはいいが、日本では峠を越した選手も少なくない。高額の契約金目当てといわれても仕方がないケースも目につく。

 「アメリカンドリーム」は、才能と努力次第で社会的、経済的に限りなく上昇できるというアメリカ的考え方を表現したものだ。日本でも、IT企業を立ち上げ、巨万の富を得たライブドア創設者の堀江貴文氏ら六本木ヒルズ族がこれに当てはまるだろう。しかし彼らヒルズ族の生態は誠実な生き方とはかけ離れ、金こそ万能という意識しか感じられない、といったら言い過ぎだろうか。

  バブル経済にうかれ、その崩壊に茫然自失して、ようやく立ち直ったはずの日本社会だが、バブル経済によって生まれた拝金主義という病根は、増大するばかりだ。「美しい」という言葉が使われなくなったという2人の対談を読んで、時代が確実に変化していることを感じたのは私だけではないはずだ。