小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

261 1本のチューリップで逮捕 レ・ミゼラブルとの違いは

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 ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」は、1本のパンを盗んだとして19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯を描き、日本では「ああ無情」で知られる。 前橋市でチューリップ1本を引き抜いた21歳の男が器物損壊容疑で警察に逮捕されたという記事が新聞に掲載されているのをみて、ついレ・ミゼラブルを思い出した。

 報道によれば、前橋市で開かれている緑化フェアに合わせて、歩道に置いていたチューリップの花が切り取られ、被害は1900本になるという。花荒らしを警戒していた警察官の前で、21歳の男は歩道のプランターから、1本引き抜いたのだそうだ。 一部の新聞は被害額38円と書いている。微罪であり、これまでの事件と無関係と思われるので、起訴はされないはずだ。

 一罰百戒ということなのだろう。ふだんなら注意されて放免になるのに、若者は運が悪かったというしかない。もちろん、新聞にも掲載はされない。 昨今の報道では、このような心ない花荒らしは群馬だけではない。富山県砺波市静岡県牧之原市で多くのチューリップがばっさりと切られてしまった。

「心が殺伐とした時代」という表現は、バブル経済が崩壊したころにかなり使われた。このような、花荒らしの横行は日本社会から「誇り」や「矜持」が失われていることを示しているのだろうか。 散歩をしていて、色とりどりの花が咲き乱れる庭が目に入ると、つい見とれてしまう。それが普通の感情だと思う。

 それなのに、多くの人を楽しませる花を襲うという行動には、肌寒さを感じ、身震いさえしてしまう。 レ・ミゼラブルは壮大な男の一生を描いている。ヴァルジャンとコゼットという血のつながりがない2人の信頼関係は美しい。いまの日本の花をめぐる事件からは、残念ながらレ・ミゼラブルのような、物語は想像(創造)できない。