小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

228 君のためなら千回でも (続)映画は原作を超えられるか

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 小説を読む。自分の知らない世界が広がる。空想の世界に似ている。そうした思いはアフガニスタンを舞台にした小説「君のためなら千回でも」でも味わった。 映画は原作を超えることができるのだろうかと、映画館に行く電車の途中で考えた。 旧ソ連のアフガンへの侵攻という歴史的な背景を取り入れながら「祖国、人間の弱さ、はかなさ、裏切りや友情」という幅広いテーマ。

 昨今珍しく読み応えがある小説だった。 映画化されると知って、楽しみと不安が交錯する気持ちで日本での封切りを待っていた。 映画は丹念に原作通りに描いていく。凧揚げ(凧合戦か)をはじめとするアフガンの習俗や当時のカブールのにぎわい。

 一方、ソ連侵攻、タリバン政権による過酷な支配によって、廃墟のようになる故郷。大国によってもてあそばれたアフガンの歴史がこの映画で再認識されるのだ。 原作者のカレード・ホッセイニは、少年時代にアフガンからアメリカに亡命し成長した。故国への思いを込めて小説を書いたに違いない。

 映画は、作者のせつない思いをきちんと伝えている。 映画は原作を超えられるか。映像は圧倒的な力を持つ。ペンは読者の想像力を刺激させる。この映画が原作を超えた作品になったかどうか。私自身は同等だなと思った。 アフガンはソ連の撤退、アメリカによるタリバン政権打倒といった動きを経ながら平和とは程遠い現実がある。つい先日も、最高級ホテルが自爆テロの攻撃に遭った。ホッセイニの少年時代のような平和なアフガンの姿は夢物語に等しいのだ。