小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

196 遠別少年(坂川栄治著) 透明な静けさの物語

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 13の短編集の中に「山おっちゃん」という話がある。幼いころに病気で耳が聞こえなくなったおじさんの思い出を描いたかつてはどこにでもあったような、郷愁あふれるストーリーだ。最後の一節がとても気になった。

  ―そして耳が聞こえない人が身にまとう独特の「透明な静けさ」のことを、時間がたつたびに私は懐かしく思い出す―

  遠別町は、車で札幌から4時間、旭川から3時間、稚内から1時間半の農村だ。いまは人口3600人ちょっとと寂しい町である。町のホームページによると、遠別は明治30年に開拓が始まり、町になったのは昭和24年のことである。一番多いときには8944人(昭和33年)の人口があったが、離農が相次ぎ、漁業も衰退して過疎化減少が激しいという。

 著者は昭和27年(1952年)の生まれなので、この町が一番にぎやかだった時期に多感な少年時代を送ったのだろう。その時代は、どこも食べるだけで精一杯の生活を送っていた。だが、子供は自然を相手に四季折々の遊びをしていた。

  この作品にはそうした時代に成長した著者のみずみずしく、懐かしさあふれるエピソードが次々に登場する。それはまるで玉手箱から取り出したような、私の少年時代を思い起こす似た話の連続なのである。

  13話目の「大森林」は、つらく悲しい父親の話だ。兵隊で旧満州に行き、ロシア(旧ソ連)のシベリアに抑留された父親は、ようやく生き延び、北海道に帰る。いつか妻にその厳しい体験を語る。北海道弁の語り口調で書かれた作品は、ものすごくリアルに読み取れた。ここでも感心するオチを著者は用意した。

 

 ―この頃なあ、あの収容所のあったところにな、もう一回行ってみたいと思う時あるんだ、母さん―

  多くの戦友が死んだ。にもかかわらず、自分は生きて故郷に帰ることができた。しかし、捕虜になって、おめおめと帰った恥ずかしさから、家に帰って2ヵ月も町の人と会うのを避けたという父親。だから晩年、死んで行った戦友たちを思い出してそうした話をしたのかもしれない。著者の父親の気持は、私にも分かるような気がする。