小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

194 死の哲学を聴講 千葉大でにわか学生の記

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 人間は死から逃れることはできない。どんな人でも100%の確率でいつかは死ぬのである。死に対する恐怖と不安は千差万別とはいえ、だれにでもあるだろう。日本でも死への恐怖や末期がんの痛みを和らげるためにホスピスが普及しつつある。人間らしい死に方を考える「死生学」という哲学がある。

 その第一人者であるアルフォンス・デーケン上智大名誉教授が、ホスピスの重要性を浸透させるため千葉大で行った「死生観を育む」という講義を医学部や看護学部の学生に混じって聞いた。数十年ぶりの、にわか学生の誕生である。  

 デーケンさんは1932年にドイツで生まれ、アメリカの大学院で哲学博士号を取り、1975年から30年間上智大学で講義を続け「心は日本人」を自称する。初めて日本で講義した当時、「ホスピス」について知っているかとタクシーの運転手に聞いたら「ハイクラスのホステスか」と答えたという。アメリカの大学では死への準備のための講座があり、「死は芸術」という言葉がある。デーケンさんによると「少しは増えてきたが、日本では死の準備教育は欧米に比べ少ない」という。  

 講義の主題は暗くて難しい。しかし、生きるうえでユーモアが大事というデーケンさんにかかると、分かりやすく、門外漢の私でも居眠りをせずに聞くことができた。彼の若い時代、ヨーロッパで一番有名な日本の映画は、黒澤明の「生きる」だったという。この映画は、胃がんで余命少ないことを知った市役所勤務の主人公の苦悩と希望を描いた秀作だ。末期がんの宣告に絶望した主人公は自分の人生が無意味だったと感じ愕然とするが、部下の奔放で力強く生きる姿に心を動かされる。その結果、無意味に思えた職場で働くことの意味を見つけ出し「生きる」ことの大事さに気が付く。  

 この映画を紹介したデーケンさんは「創造的に生きることができるのは人間の偉大さ」だと述べ、アメリカの映画スター、ジョン・ウェインががんの宣告を受けたあと、多額の寄付を集めて「ジョン・ウェインがん研究所」をつくり、がん征圧のために寄与したことも取り上げ、死の間際でも人間は創造的に生きることができるのだと指摘した。デーケンさんは、8歳の時、4歳の妹の死に遭遇した。白血病の妹は死ぬ間際家族一人ひとりに「天国で会いましょう」とあいさつしたという。妹と祈りながらデーケンさんは、この時、避けられない死を受け入れた。これがデーケンさんの「死生学」の原点だそうだ。  

 デーケンさんは、人生にはユーモアが大事だと強調する。ドイツ人は謹厳実直という印象を持つが、「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うことである」といことわざがあるそうだ。自分が苦しい状況に置かれていても、相手を喜ばせようと微笑みかける心遣いが真のユーモアだという意味だ。そんな話をするデーケンさんは、終始笑みを見せ、ジョークも飛ばす。450人ほどの学生はしばらくの間私語をしたり、携帯電話でメールをしたりと、落ち着きがなかったが、15分もすると、デーケンさんの話に引き込まれたのか、私語もなくなり、私も落ち着いてメモを取ることができた。  

 デーケンさんが言うように、日本では死の準備教育はあまり行われていない。私自身もそうした話を学校で聞いたことはないし、これまでは興味がなかった。だが、若くない私たちの世代は、これまでの生き方を振り返り、死について考えてみても早くはないことに気が付いた。それは、たそがれ世代の宿命なのである。