小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

190 黛まどかさんの「歌垣」 日本再発見塾「までいの村・福島・飯舘」

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「ことしの紅葉は、いつもの年よりきれいではないな」と、地元の人が話す。確かに、期待した鮮やかさには少し足りない印象だ。でも、あと1週間もすれば、木々の葉の赤や黄色の色彩はさらに強くなるはずだ。初めて訪れた福島県北部の飯舘村阿武隈高地にあり、紅葉が始まっていた。 この村では「までい」という言葉が使われる。

「ていねい」「じっくり」という意味の方言だ。食事、育児、仕事にもよく使われる。本来は「真手」というらしい。村は、人口6400人余と少ないにもかかわらず市町村合併を断り、懸命に村の誇りを守ろうとしている。「までい」の心を感じ取り、日本の文化や社会の在り方を見つめ直そうと、この村で開催された「日本再発見塾」に参加した。 

 やや元気のない地方。そんな地方にも、実は多くの優れた伝統がある。それを再確認し、味わうのがこの催しだ。3回目になぜこの飯舘村で開催されたのか。 催しの呼び掛け人代表の俳人黛まどかさんとの接点があったのだ。村では、平成13年から18年まで村の存在を全国にアピールするために「愛の俳句」を募集し、その選者にまどかさんを依頼した。毎年50句が選ばれ、計250句が村の産出の御影石に刻まれ記念碑として村民の森のあいの沢遊歩道に並べられている。

 そんな縁で、黛さんが推薦し、全国からこの村に100人近くが集まったのだ。 再発見塾で最も関心を集めたのは、黛さんと国文学者の上野誠奈良大学教授が進行役になった「歌垣」だった。あまり聞きなれない言葉だが、万葉集の時代の日本では、愛を表現する恋愛遊戯として「歌垣」が行われたという。愛を問う「問歌・問句」とそれに答える「答歌・答句」のやりとりをするのだ。

 参加者の中には、まどかさんの「追っかけ」と思えるような男性がかなりいる。 一緒に参加した友人は短歌に応募した。前日の夜から、しきりに考えていて、いい作品ができたようだった。私といえば、短歌も俳句もあまり興味がない。俳句の方が簡単そうだ、適当につくってみるかと不遜な姿勢で臨んだ。 進行役の2人の絶妙な掛け合いで、げらげら笑いながら歌垣が進行していく。そして、何と友人の短歌は入選作に選ばれ、彼はいそいそと壇上に立った。

 さらに驚くことに私の句も選ばれたのである。事前に募集した問句の入選作「飯舘に 溢れる愛や 星月夜」に対しての答句だった。 「星月夜 君の笑窪(えくぼ)に そっと触れ」 うまいかへたかは分からないが、なぜかまどかさんが読み上げ、私も壇上に出たのである。「だれを思ってつくりましたか」と聞かれ「会場にいる(女性)みなさんです」と答えた。本当は「もちろん黛まどかさんです」と言いたかったが、恥ずかしいのでやめた。

 村の関係者は、阿武隈高地(標高400メートル)の高い所に住んでいるが、村民の所得は福島県内で一番低いと話す。 村民の多くは農業だけでは生計が成り立たないために、村の外に働きに行っているそうだ。だが、暗さはない。その根源はなんだろうかと考えた。それは豊かな自然と純朴な村の人々だと行き着くのに時間はかからなかった。そう、この二つが黛まどかさんをもひきつけ、飯舘に足を運ぶ魅力になっているのだ。