小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

120 現代日本を象徴する光景 駐輪場の考察

  私の住む街に、JRの駅がある。3月までは駅周辺にある6つの自転車駐輪場は無料だった。しかし、自転車通勤・通学族は駅の利用は勝手だとばかりに、無法を繰り返し駐輪場だけでなく、駅に上がる階段の前にまで自転車が氾濫した。

  手を焼いた区や町内会の連合組織が話し合って、あらためて駐輪場を整備し、この4月から年間で7000円の有料制にした。その結果はどうなったのだろうか。そこに、現代の日本人の生き方を象徴する興味ある事態が出現したのである。

  その事態とは。有料制になった場合、人はどういう行動に出るのか。そこで、6つの選択肢があったようだ。以下に羅列する。

  1、素直に(心では文句を言いつつ)金を払い、登録する

 2、思い切って、自転車をやめ歩く

 3、金を払うのはばからしいので、有料の駐輪場に金を払わず駐輪する(注意されたら、別の有料場所に置く)

 4、バスを利用する

 5、奥さんに車で送ってもらう

 6、やや遠くなったが、別の無料駐輪場に置く

  統計をとった訳ではないが、1と6が多いのは当然ながら、3の選択をした人も少なくなかった。6の場合、実は抽選制の有料駐輪場に外れた人の一時の場所として遊歩道の一部をつぶしてつくったものだ。

  ところが、いまや1が空いているにもかかわらず、6の方の利用者が多く、遊歩道は自転車であふれかえっているのである。早朝、犬の散歩をしていて、追い越していていく自転車族のほとんどが、身ぎれいなスーツを着ている。しかし、彼らの自転車には有料駐輪場のマークがほとんど張っていないのだ。年間で7000円という利用料を払えないはずはない。遊歩道にあふれた自転車を見ながら、エゴを通しでも金を払いたくない人が多い現状は寂しい限りだと思った。

 さらに、3の選択をした人がいまもって減らないのだ。社会の秩序を無視し続けていることに腹立だしさを通り越してあきれるばかりだ。駐輪場には、定年退職後にシルバー活用でアルバイトをしていると思われる人たちが交代で詰めている。それでもその目を盗んで自転車を止める行為が跡を絶たない。

  現代日本を見ると、モラルの崩壊が目につく。携帯文化はその象徴だ。携帯文化というのは、私が勝手に名付けたものだが、携帯を持った人たちが優先席でメールをやり、満員電車の乗降口で、電車が止まってもよけもせずに平気でメールを打っている姿が常態化しているのである。

 私は別に携帯を敵視しているわけではないが、携帯の普及によって、モラル崩壊が増大していると思わざるを得ないのだ。他人に迷惑を掛けようがわれ関せず、自分の世界に埋没しているのである。その延長が駐輪場利用の実態なのだと判断する。

  ちなみに、私は有料契約をして、時には健康のために歩いている。