小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

106 私が住んだ街2・東京都国立市 立川と国分寺の中間

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「こくりつ」ではなく「くにたち」という。しかし、東京以外の人で、ちゃんとこの街の呼び方をできる人はそう多くはないと思う。立川と国分寺の中間という意味で名前がついた小さな街である。だが、いまは独自性を持つ。 おしゃれであり、一橋大学の街である。当然本屋も多い。音楽家の街であり、楽器店も目に付く。いまもわが家にあるピアノは駅前の楽器店で購入した。

 私は下駄を履いてこの街を歩いた。 JR国立駅前から大通りが真っ直ぐに伸びている。歩道も広く、散歩するのが楽しい日々を送った。大学の構内に娘を連れて入っていってもだれからも注意を受けたことはなかった。

 中央線とは離れたところに川崎と立川を結ぶ南武線谷保駅がある。すぐ近くに谷保天満宮があり、梅や桜の季節は美しい花に囲まれていた。作家の山口瞳さんの行きつけの居酒屋が駅の近くにあった。 さらに谷保から多摩川に向かうと乗馬クラブがあった。通う人も少ない、週1回は通って、馬の面倒を見ながら乗馬を習った懐かしいクラブである。 時折、ファッション雑誌から抜け出たような女性が高級車できていたが、会員の多くは馬が好きだという理由で通う普通の人たちだった。

 当時、地方から東京本社に異動して間もなく、激務の仕事をしていて、帰りは夜11時を過ぎる毎日だった。自宅まで歩くにはかなりあり、バスももう走っていない。中央線が止まると、みんなダッシュして階段を上り下り、改札口に向かう。 帰りのタクシーに乗るのに、順番を争うのである。数十台が止まっているが、タッチの差で乗り遅れると、かなりの時間、乗り場で待つしかないのだ。仕方なく、しゃれた駅舎を見ながら、家族の顔を思いつつ時間をつぶす。

 思い出深いこの駅舎がなくなった。いま、新しい駅の建設が続いている。たしかにかつての駅は使いにくかった。 それにしても、便利さを追求するゆえに、大正15年(1926年)4月1日に開業したロマネスク風の窓がついたとんがり屋根の小さな駅舎が消えたのは寂しい。(07.4.8)