小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1328 人間賛歌・種まく人 ミレー展にて

画像
ジャン=フランソワ・ミレーの「種まく人」(1850年)に触発されて、フィンセント・ファン・ゴッホが同じ題名の作品を描いた(1880年)ことはよく知られている。東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「ボストン美術館・ミレー展」で見た「種まく人」は、岩波書店のシンボルマークなどで見慣れているせいか、懐かしさを覚える作品だった。一方、ゴッホはミレーの絵に対し「残念ながら色彩がない」と語り、同じ画題でまばゆいばかりの色彩表現の絵を描いた。2つの絵にはそれぞれの個性が表現されているといえよう。 ミレーはパリ郊外のバルビゾンという小さな村に移住して以降、「種まく人」のほか「落穂拾い」(1857)や、「晩鐘」(1857~59)など農民をテーマにした名作を描いている。これらの作品は複製画や図版として大量に出回り、飾り時計の文字盤にまで使われ、「種まく人」は岩波書店のマークにもなり身近な存在だ。「時として退屈さを感じさせるほど陳腐なもの」という見方もあるが、ミレー人気は高く、美術館は来館者が続いていた。 ミレーの「種まく人」はほぼ同じ構図の作品が2作あり、ボストン美術館と山梨美術館が所蔵している。人物の輪郭線がはっきりしているのがボストン、厚塗りで筆使いが荒々しく、背景の黄色が目立つのが山梨といわれている。いずれも農夫の種まきという行為に焦点が当てられ、顔は明確に描かれていないのが特徴だが、大地に生きる農夫の姿が力強く描かれている。 これに対しゴッホの作品(オランダ・クレラー・ミュラー美術館所蔵、2013年に国立新美術館などで展示)は、画面上部中央に輝きながら地平線へ沈む直前の太陽を配置し、遠景に黄金色の穂畑(麦畑か)、その手前の青色の陰影がある畑でミレーの作品とほぼ同じように種をまく農夫の姿が描かれている。逆光の中で働く農夫の姿はミレーのものよりも、さらに強い生命力を感じる。 ミレーの絵に対し、日本ではこれまで労働の尊さや自然への畏敬という面からのアプローチが強かったといわれる。宗教画や歴史画に比べて「人間賛歌」ともいえる分かりやすさがあり、私を含めた絵の素人にはそれが美術館に足を運ぶ大きな理由である。「種まく人」が描かれて164年。世界は大きく変化し、農村は機械化した。この絵のような風景は途上国の一部を除き、世界から姿を消しつつある。だがミレーの作品の美の価値は変わらない。ミレーの作品は、時代を超えて人間の尊厳を強く訴えかけているといっていいだろう。(12・16) 写真は三菱一号館美術館の中庭の風景