小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1267 hana物語(8) 後輩ハナとともに

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hanaが旅立ってから、朝の散歩はやめた。その代わりに始めたのがラジオ体操だ。自宅から約200メートル離れた遊歩道の一角に大きな円形の花壇があり、その周囲が広場になっている。ここで近所の人たちが毎朝6時半からNHKの放送に合わせてラジオ体操をやっている。その数約40人。夏休み中だったため、小学生たちもその中に混じっていた。 hanaとの散歩の途中、この広場をよく通った。放送に合わせて体を動かす人たちがいた。子どもの時の夏休みにやって以来、ラジオ体操はやっていない、一度は仲間に入ってみるかと思いながら、いつも通りすぎていた。この広場にはマロニエトチノキ)が植えられていて、8月にはもう実が大きくなっている。風の通り道にもなっていて、私は勝手に「風の道」と呼んでいる。 毎年9月、恒例のように私は妻とともに遅い夏休みを取って、海外旅行に出掛けた。その多くがヨーロッパだった。10日前後の旅行中、hanaにとっては我慢を強いられる日々が続いたといえる。 朝は娘たちがいるが、日中はhanaが家の中で単独で留守番をするのだ。その時間は朝8時から夜8時ごろまでの12時間。人が大好きで、ひょっとしたらこの家の娘と思い込んでいるかもしれないhanaにとって、だれもいない家で過ごす時間は寂しくてたまらなかったはずだ。それだけに娘たちが帰ると派手に飛びつき、まとわりついたという。 私たちは、そんなhanaの姿を想像しながら、ヨーロッパの街を歩いた。街にはマロニエが街路樹として植えてあり、大きな実がついていた。風の道は、そんなヨーロッパを思い出させる私のお気に入りの場所だ。 ラジオ体操が終わり、家に帰ろうとすると、向こうから見慣れた犬が来る。hanaと同じゴールデンレトリーバーで、名前も「ハナちゃん」という同名の2歳半の元気な後輩犬だ。朝の散歩の途中に出会うと、hanaとハナちゃんはじゃれついてひとしきり遊んだ。後輩犬のハナちゃんがまとわりつき、hanaは仕方がないなあと言う顔で、渋々付き合うと言うのが正確な表現かもしれない。 ハナちゃんとは、昨日も会った。私が体に触ろうとすると、さっと逃げてしまい、愛想がない。仕方なく飼い主と挨拶を交わして別れたのだが、けさは向こうから寄ってきて、体をなでると大喜びし、寝転んで腹を見せる。hanaも機嫌がいい時には、娘たちに対してこんな格好を見せた。けさのハナちゃんも機嫌がよく、この人は警戒する必要がないと判断したのだろう。 ハナちゃんの飼い主は、私と年格好は同じくらいだ。ハナちゃんがかわいくてならないという顔でいつも散歩をしている。聞けば、ハナちゃんの前にもゴールデンレトリーバーを飼っていて、12歳前に死んだそうだ。そのあとで再びハナちゃんを飼ったのだから、ゴールデンレトリーバーが大好きなのだろう。その気持ちは、hanaと付き合った私にはよく理解できる。 この広場で私がラジオ体操の仲間に入ったのは8月に入ってからで、第1体操はよく覚えていた。しかし、第2体操は思い出すことができず、前の人の動きを真似しながらやり終えた。問題は体が思うように動かないことだ。ラジオ体操なんて簡単と思っていたのは早計だった。肩が痛くて腕はよく上がらない。体が固くなっていて他の人のようにスムーズに体操ができないのだ。そんな私に比べると、年上と思われる人たちの体操は柔軟性があり、見ていても気持ちがいい。こんな始末ではhanaが生きていたら、「恥ずかしいよ」と言われたかもしれない。