小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1266 hana物語(7) 奇跡の犬

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hanaが肝臓がんと診断されたとき、家族全員が間違いであってほしいと願った。しばらくすれば元気を取り戻してくれるのではないか、hanaの散歩の際に度々出会った先輩犬のラブラドールレトリーバーのように、「奇跡」が起こるのではないかと思ったのだった。 近所で飼われていたラブラドールレトリーバーのシオン(雄)は、8歳になったころから、股関節の形成不全(股関節が緩み、骨と関節の異常を引き起こす)とアレルギー性の皮膚疾患にかかり、歩くことが困難になった。飼い主に介助され後ろ足を車いすに乗せて、少しずつ歩く姿は痛々しかった。 ゴールデンレトリーバーラブラドールレトリーバーは、この病気になることが多いといわれるが、シオンの場合は厄介なDNAを両方とも引き継いでしまったのだ。 飼い主はシオンのためにいろいろな薬を探したが、効果はなく、このままでは次第に衰えて行くのだろうと思われた。だが、シオンはある時を境に、自力で歩くまでに回復したのだ。2009年の暮れ、結婚して家を離れたこの家の長女が男の子を産み、静養のために家に戻ってきた。飼い主夫妻とシオンだけで暮らしていた家が一気ににぎやかになった。 それまではシオンが一家の中心に扱われていたが、孫が生まれると、飼い主の関心は当然のように孫の方へと向けられた。飼い主夫妻が孫を可愛がると、シオンは「フン」という顔つきをするようになった。しばらくすると、フラつきながらだが車いすを使わず、自分で歩き始めたのである。その距離は最初の数メートルから次第に伸びていき、間もなく車いすを使わなくとも散歩ができるようになった。 飼い主は「赤ちゃんにばかり注目しないで、私の方も見てほしいということなのでしょうか」と私に話してくれた。赤ちゃんという新しい命に対し対抗心を燃やした結果、病を克服したのだとしたら、シオンには強い生命力があったのだと思う。シオンはこの後も頑張り抜き、2011年3月の東日本大震災後に息を引き取る。 わが家でもシオンの飼い主の一家と同じように長女に(私の孫)女の子が産まれ、hanaにとっては「ライバル」が出現した。しかし、hanaはシオンとは違ってこの子への対抗心を感じさせる行動は全くせず、自分の妹のように扱った。ソファーで一緒に横になり、孫が時には背中に乗っても嫌がらずに、我慢をする。前にも書いたが、hanaが死んで、未明に両親と一緒に駆けつけてきた孫は、我が家の玄関を入ったとき、「hanaがキュンとないたよ」と、長女に話した。この子だけに聞こえたhanaの最後のあいさつだったのかもしれない。 2013年7月初め私と妻がベトナムカンボジアの旅に出発した当日、hanaは小康状態だった体調を崩し、留守番をしていた娘たちがかかり付けの獣医に緊急往診を頼んだ。この医師は後日、家族で点滴に連れて行った際、「ご夫婦が帰ってくるまで持つかどうか心配でした。ここまで持ち直したのは奇跡的ですよ」と話してくれた。 それを聞いて私はhanaに感謝した。hanaは元気な姿で私たちを出迎えようと気力を振り絞ったのだろう。玄関に姿を見せたhanaの姿は私の脳裏に焼き付いている。それから20日間、私たち家族はhanaの最期の日々を懸命に見守った。