小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1264 犬と猫の受難の話 盲導犬が刺される時代……

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最近、新聞に載った「盲導犬がけがをさせられた」という投書と友人がフェースブックに書いた「人を怖がる猫」の話が気になった。「犯罪や事件は時代を映す鏡」といわれるが、2つの動物虐待の事件は、21世紀前半の日本の姿を反映しているようで、暗澹とする思いがする。 盲導犬の話は8月1日の朝日新聞投書欄に掲載され、知人がフェースブックでも取り上げた。埼玉県の会社員の「忠実な盲導犬を虐待するとは」と題した投書で、会社員の娘さんと同じ職場にいる全盲の人の盲導犬がいつものように職場に入ってきた。そのとき、周りの人が盲導犬のお尻付近に赤いものが付いているのに気づき、犬の服をめくると、腰からお尻までが血だらけだった。 盲導犬が飼い主の通勤に寄り添っているうちにだれかが刃物で刺したらしく、警察に被害届を出してもどこで刺されたか分からないため、犯人逮捕はできず、飼い主は気づいてやれなかったことに悔し涙を流したという。投書の主は「全盲の方の苦労を知り、盲導犬に愛護と尊敬の念を持ってもらいたい。深くそう思います。そして、こんなことをしたあなた。これはいたずらでは済まされないことですよ。反省してください」と訴えている。 もう一つの猫の話はこんな内容だ。 友人が飼い犬の餌を動物病院に買いに行き、獣医と話をしていると、後ろ脚がV字に開脚したように上がったままで、お尻に医師が考案したというボール状のクッションを取り付けた白い猫がいた。クッションは前足だけで歩けるようにという工夫だ。「ひかりちゃん」と名付けられた猫は生後1カ月くらいのころアパートの前で動けなくなっているところをアパートの住人が見つけ、この病院に連れてきた。下半身はまひしており、けがの状態から人間に蹴られたのではないかという。 それから動物病院で面倒を見てきたそうだ。ひかりちゃんは2歳くらい。これまでの2年間、動物病院の医師と看護師以外には心を開かず、犬や猫が診察に連れてこられると、奥の手術室に隠れていたが、最近やっと人前に出てくるようになったという。友人は「そのとき、小さな猫に何が起こったのか目撃者はいません。しかし、反撃できないものに暴力を一方的に加える人間は本当に愚かで情けないと思いました。ひかりちゃん、生きててくれてありがとう」と書いている。 日本動物虐待防止協会によると、動物に対しも理不尽な痛みやストレスといった苦痛を与えることがないよう肉体的、精神的に幸せである環境の調和を目指した動物福祉という考え方があり、ドイツなどではかなり浸透している。具体的には①飢えと渇きからの自由②不快からの自由③痛み、負傷、病気からの自由④恐怖や制圧からの自由⑤本来の習性を発揮する自由―が確保されなければならないということである。しかし、きょうもどこかでこの5つの精神に反する行為が繰り返されているのかもしれない。 追記 暗澹とする思いに輪をかけるニュースに接した。8月6日の広島原爆の日と9日の長崎原爆の日、両日の平和記念(祈念)式典に出席した安倍首相のことである。広島の式典では前年(2013年)に述べた内容とほとんどと同じといっていい式辞を述べ、長崎でも広島のものとほとんど変わらない内容を繰り返した。しかも式典後の被爆者との話し合いが終わった後、参加者の一人が首相の話に「納得してませんよ」と声を掛けると「見解の相違です」と語ったというのである。 首相のあいさつは「コピ&ペ」(コピー&ペースト)時代を象徴するできごとで、首相を含め周辺がこの式典を重要に思っていないと受け取られても仕方がない行為といっていい。長崎の話し合い後の「捨て台詞」も集団的自衛権をめぐって国民との間にギャップがあることを示し、自分の考えに反するものは「見解の相違」として耳を傾けない姿勢を露呈したものだ。 育て、元気にと盲導犬訓練センターにて 介助犬の受難