小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1247 懐かしきは夕菅の花 絶滅の危機を乗り越えて

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ことしも私の散歩コースに「夕菅」(別名、黄菅)が咲き始めた。かつてはそう珍しくはなかったこの花も、都市化現象が進んだ影響で一部の地域では絶滅危惧種に指定されるほど、姿を消しているという。高原に自生し、軽井沢を代表する花といわれる。まだ一輪しか咲いていないが、花期はこれから9月まで続くというので、しばらくの間花を楽しむことができる。

「夕菅の一本足の物思ひ」(石田勝彦)

この花は、ユリ科多年草で、7月から9月にかけて淡黄色の花が咲く。夕方に開いて芳香を放ち、翌日の午前中にはしぼむ。高原に自生する。(角川、俳句歳時記)しかし、乱開発のため、この花が首都圏から次第に姿を消してしまい、最近ではほとんど見かけなくなった。しかし、私の散歩コースの花は、危機を乗り越えて、ことしも開花の時期を迎えたのだ。

俳句歳時記には石田勝彦の句以外にも、「夕菅のぽつん~と遠くにも」(倉田紘文)、「夕菅や叱られし日なつかしく」(伊藤敬子)、「黄菅咲く父に小さき画帳あり」(山西雅子)という3句が載っており、以前は夏の花として、そう珍しくはなかったのかもしれない。

4句を見て感じるのは、寂しさ、郷愁である。そういえば、軽井沢を愛した詩人、立原道造の最初の詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』の中に「ゆうすげびと」という詩がある。読んでいて、懐かしさが湧いてくるのはなぜだろう。

かなしみでなかった日の ながれる雲の下に

僕はあなたの口にする言葉をおぼえた

それはひとつの花の名であった

それは黄いろの淡いあわい花だった

僕はなんにも知ってはいなかった

なにかを知りたくて うっとりしていた

そしてときどき思うのだが 一体なにを

だれが待っているのだろうかと

昨日の風に鳴っていた 林を透いた青空に

かうばしい さびしい光の まんなかに

あの叢(くさむら)に咲いていた……そうしてきょうもその花は

思いなしだか 悔いのように~。

しかし僕は老いすぎた 若い身空で

あなたを悔いなく去らせたほどに!