小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1231 ハトが果樹の中に巣づくり 平和の象徴の悲しい歴史

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1年前のいまごろ、わが家の庭の生け垣(ヒイラギモクセイ)にハトが巣をつくった。キジバトらしいつがいである。オスが懸命に小枝をくわえてきてメスがいるところに運んでくる。そして、いつの間にか巣の形になり、産んだ卵を抱え、雛をかえして6月初めには巣立っていった。時はめぐり同じ新緑の季節となり、キジバトたちは、今度は東側のキウイフルーツの木に巣作りを始めている。ハトには帰巣本能があるといわれるが、近くの別の場所に巣をつくることもその概念に相当するものなのだろうか。 ハトはオリーブとともに、昔から平和の象徴といわれている。かつて近代五輪の開会式にもハトが飛ばされ、東京五輪の記録映画でもその場面(カワラハトという種類)があったと記憶している。2020年には東京で再び五輪が開催されることになったが、ハト放鳥というイベントはあるのかどうかは分からない。 3月に訪問した南米ペルーの首都リマで、ハト(キジバトではなくドバト)の大群を見た。大統領府(ペルー政庁)の建物が目の前にそびえるアルマス広場近くに世界遺産の「サン・フランシスコ教会・修道院」があった。1546年から建築が始まり、途中で大地震もあって完成まで100年以上かかったバロックとアンダルシア風の建物だ。ファサード(正面装飾)がその象徴といわれるが、ここは格好の棲家らしく数えきれないほどのハトたちがいた。 近くの工事現場から発せられた大音響に驚き、おびただしい数のハトが一斉に飛びたち、ファサードが隠れてしまうほどだった。それはアルフレッド・ヒッチコックの名作「鳥」(1963年)を連想させるほどの大群だった。世界の公園や広場にハトは付き物のようで、以前に行ったトルコでも広場を占拠するハトを見かけたことを思い出した。 ハトが平和の象徴といわれるのは、旧約聖書が由来らしいという。その《創世記》第8章「ノアの洪水」には、ノア(人類の祖先といわれる)が方舟から放ったハトがオリーブの若葉を持ち帰り、大洪水が終わったことを知ったと記されている。この話はギリシャ神話にもなっており、西欧ではハトとオリーブは平穏をもたらすものと昔からいわれているようだ。ハトは平和の象徴という話が日本にいつ伝わったのかは分からない。だが、そんなに昔のことではなさそうだ。 報道機関では昭和30年代初めまで伝書鳩を利用して遠隔地から写真フィルムを送った。ハトの帰巣本能を利用したものであり、報道機関の屋上にはハト小屋が置かれ、飼育係も存在した。手元にある「回想 共同通信社50年」(1996年発行)によると、民間機がまだ普及していない昭和28年、現在の天皇が皇太子時代、英国のエリザベス女王戴冠式出席のため横浜から客船で渡欧することになった。報道各社は横浜から300キロ離れた洋上でくつろぐ皇太子の姿を撮影し、フィルムを伝書鳩で本社に送ることにした。 「ハトは陸が見えないと海上すれすれに飛ぶ習性があり、波にのまれる危険が大きく、手札用のフィルムを背負って300キロも休憩なしに飛ぶのはハトを見殺しにするのと同じだ」とハトに詳しい社員が反対したが、1羽でも戻ればいいという希望的意見が大勢を占め、10羽が船から放たれた。しかし、10羽とも本社には戻らず、全滅してしまった。東京新聞のハトだけが東京湾内の漁船に不時着の形で舞い降り、特ダネになったという。 こんなハトの悲しい歴史はいまや昔の物語になった。 鳩が生垣に巣作り 写真 1、巣作りを始めたハト 2、一斉に飛び立ったハトの群れ(リマのサン・フランシスコ教会・修道院) 3、サン・フランシスコ教会・修道院ファサード 4、広場を占拠したハトたち(トルコ)
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