小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1181 デジカメ過剰撮影時代のマイナス効果 旅の記録と記憶

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カメラといえばデジタルカメラの時代で、フィルムカメラを使うのは写真のプロか、一部の愛好者しかいないといっていいだろう。そんな時代、だれもが枚数を気にせずシャッターを切る。旅先で数多くの写真を撮影してしまい、あとでどれをプリントしたらいいか困った経験をした人は多いだろう。私もその一人だ。そんな過剰撮影に水をかけるような記事がフランスの通信社AFPから流れた。以前、海外の旅でカメラを持たない2人に出会った。この記事を読んで、2人の行動が分かったような気がした。 AFPの記事を要約すると―。米フェアフィールド大学(コネチカット州フェアフィールド)の心理学者、リンダ・ヘンケル氏は、自分の大学内にある博物館のツアーに学生を参加させ、写真を撮る学生、見学だけの学生に分け、いくつかの展示品を覚えておくよう指示した。翌日、指定した展示品に関する記憶を調べると、写真を撮影していた学生の方が、見学だけの学生に比べて、対象物の詳細を覚えていなかった。(詳細は米心理学専門誌「サイコロジカル・サイエンス(Psychological Science)」) ヘンケル氏はこの結果を受けて「人々は何かというとすぐにカメラを取り出し、ほとんど何も考えずにシャッターを切っている。そのために目の前で起きていることをとらえ損ねるほどだ」と指摘。「物事を覚えておくために技術の力に頼り、その出来事をカメラで記録することで、結局のところ自分自身で積極的に参加しようとする必要がなくなってしまい、経験したことをしっかり覚えておこうとしてもマイナスの効果を与えかねない」「こうした結果は『心の眼』と『カメラの眼』が同じではないことを示している」と述べている。 そしてヘンケル氏は言う。「個人の思い出のためにデジタルカメラで写真を撮っても量が多すぎ整理しなければ、写真をあらためて見たり、思い出したりする気もなくなってしまう。記憶にとどめるには写真を撮りためることよりも、撮った写真を眼にする機会をつくることだ」と。 これまでの旅の中で出会った2人は、60代の元大学の先生、30代半ばの女性で、2人ともカメラを持たない理由を「旅の思い出を記憶するため、写真はわざと撮らない」と話してくれた。特に、元先生の場合は、年に10数回海外旅行をしているが、「旅は記憶」を実践しているのだという。 11月下旬から12月初めにかけて、タイを旅した。いつものように、撮影した枚数は数百枚になった。ヘンケル先生が言うように、早くこれを整理し、プリントしなければ、旅の記憶は次第に薄れていくに違いない。 この4枚はタイの旅で印象に残った写真である。 1、寝仏の前で一休み 記念撮影の合間の子どもたち(アユタヤのワット・ローカヤースッター) 2、山頂でもPM2・5が心配?(チェンマイのワット・プラ・タート・ドーイ・ステープ) 3、若いお坊さんもカメラが趣味(ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープの仏舎利に通じる階段) 4、陽光に反射して窓に不思議な模様がついたバンコク市内の高層ビル
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