小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1157 球こそ遊戯の中心 正岡子規・田中将大・斎藤佑樹・バレンティンの話

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2006年8月といえば、もう7年も前になる。夏の高校野球・甲子園大会の決勝戦早実駒大苫小牧が1試合では決着がつかず、翌日に再試合の結果、早実が優勝した。その時の両チームのエースは早実ハンカチ王子といわれた斎藤佑樹駒大苫小牧が2年生の夏に優勝を経験した田中将大だった。それから、斎藤は東京6大学の早大のエースを経てプロ野球の日本ハムに入り、一方の田中は高校卒業と同時に楽天のユニフォームを着た。しかし、その間に両者には力の差がついていた。 ことし、それが顕著になった。プロ6年目の田中はシーズン21連勝、シーズンをまたいだ25連勝という投手として今後破られることは考えられない偉大な記録を達成し、さらに伸ばす勢いだ。一方の斎藤は右肩を壊し2軍生活をしている。7年前には想像もつかないほどのこの落差は、勝負の世界の厳しさだけでなく、人生には浮き沈みがあることを示している。 高校時代の2人はライバルとして注目を集めた。さわやかな印象の斎藤、泥臭いが懸命に投げる田中。野球に詳しい人は、2人の将来性という点で田中に軍配を上げていた。時を経てその通りの結果になった。素人目に見ても、斎藤のフォームは上半身だけで投げているような無理があると思った。田中の方は次第に無理のないフォームに近づいている。斎藤の右肩は関節唇損傷(SLAP損傷)というスポーツ選手特有のけがだという。朝日新聞のきょうの夕刊によれば、2軍落ちした斎藤は手術をせずに投球フォームの改善で復活を目指しているのだそうだ。 高校、大学と栄光の時代を送った斎藤にとって、現在の境遇はつらいものだろう。しかし、このような苦境を経て成長することができれば選手として田中に追いつくことは無理だとしても、人間的な豊かさについては勝ることが可能なのだ。斎藤が今後どのような野球人生を歩むのか、静かに見守りたいと思う。 田中の投手としての記録は、本当に偉大だ。同時に王貞治のホームラン記録(55本)を破ったヤクルト・ウラディミール・ラモン・バレンティンの記録も偉大という点で田中の記録と並び称されていい。2013年は野球界にとって記念の年になるだろう。なぜ、2人が同じ年にこのような偉大な記録を達成できたのだろうか。それは、現在よりも後年になって、分析されることなのかもしれない。 俳人正岡子規は「ベースボール」という随筆を書いている。その中に「ベースボールの球」という項がある。「ベースボールはただ一個の球あるのみ。しかして球は常に防者の手にあり。この球こそこの遊戯の中心となる者にして球の行く処すなわち遊戯の中心なり。(途中略)尋常の場合を言わば投手の手にありてただ本基(ホームベース)に向って投ず。本基側には必ず打者(ストライカー)一人棒(バット)を持ち手立つ。(以下略) この作品を読みながら、田中投手とバレンティンとの一騎打ちを見たいと思った。それは世紀の対決といっていい。2人が日本にこのまま残っていれば、来年には実現するはずだ。 夕方、透明感が深い遊歩道を散歩していると、空にはいわし雲が浮かび、その向こうに中秋の名月が近い白い月が顔を出していた。野球も含めたスポーツの秋がやってきたと思った。