小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1150 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(16)金木犀とともに

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私がhanaの骨を庭の一隅に埋めてやろうと思った理由は、家族の「近くに置きたい」という言葉だけではない。このブログにリンクしている「消えがてのうた part2」のaostaさんの「ボンボンがいた日々」(2012年8月31日)という、絶唱ともいえるブログを読み、さらに名作「ハラスのいた日々」で、作者の中野孝次さんが愛犬ハラスの亡骸を庭の柘榴の木の根元に埋めたことを書いていたことを思い出したからだ。 「消えがてのうた part2」のブログは哀しく、詩情豊かな内容だった。その文章が私の胸に迫った。以下、そのブログ。 《ひと月前までは、ボンボンがいた。すでに2カ月余り、半身不随の形で寝たきりでではあったけれど、水も流動食も、シリンジ(注射筒)で口に入れてあげれば、よく飲み、よく食べた。食欲のあるうちは大丈夫、そう思うことで安心したかった。 けれども日を追うにつれて食欲は落ち、それとともに体力もなくなって、ある日からぱたりと水を飲まなくなった。そして降るような蝉しぐれがいつの間にか静かになって、秋を思わせる風が庭草を揺らしていた朝、ボンボンの呼吸は静かに停まった。未明には、まだ浅い呼吸で上下していた胸が、夜が明けた時にはもう微動だにしていなかった。開いたままの瞳は、元気だったころと同じように黒々と光ったままだったのに。 8月1日の早朝、ボンボンは逝った。長いこと寝たきりだったボンボンのわき腹や脚の関節部分には、床ずれが出来ていた。手当の甲斐もなく、傷口は大きくひろがって、流れ出す膿は、甘く饐えた臭いがした。それはもしかしたら、死臭と言うべきものだったのかもしれない。それでもそれはボンボンの臭いだった。末期(まつご)のボンボンの身体から発していたと思えば、あの臭いさえも今では懐かしい。 ボンボンは、かぼそい骨になった。それは思いがけないほど白く軽く、そっと揺すると、からからと小さく乾いた音を立てた。骨になったボンボンを、桜の樹の近くに埋めた。桜の下には白い百合の花。かつて野山を自在に駆け回ったボンボンは今、香しい香りとともに咲く百合の根元でやすらっている。早春のクリスマスローズに続いて、晩春には桜が爛漫の花を咲かせヒグラシの声が落ちる夏には、カサブランカが香る木陰。秋になれば桜紅葉が一面に散り敷き、冬には柔らく清浄な雪に包まれる場所で。 ひと月で2回目の満月だと言う今日は夕方から激しい雨。雨があがった深夜、ボンボンの眠る庭は青い月明かりと虫の音が満ちていた。ボンボンの骨は、雨に洗われ、雪に晒され、長い時間をかけて土に還ってゆくだろう。その時、かつてボンボンであった大地はいったいどんな花を咲かせるのだろう。一つの命が終わり、その命を埋葬する。そうして庭は、思い出とともに私に近づく。庭の時間、庭との会話は、私にとって、より親しいものとなる。どの季節にも、どの場所にも、ボンボンと過ごした日々のかたみが、風と一緒に揺れている》 「ハラスのいた日々」には、中野さんがハラスの亡骸を根元に埋めた柘榴に翌年例年の5、6倍という数十個の実がなり、その実を全部採って焼酎につけ「ハラス記念柘榴酒」をつくったことが書いてある。中野さんは「数十個の立派な実となって犬が再生したことに感激した」とハラスへの思いを記している。「ハラスのいた日々」が新田次郎文学賞を受賞することになったという知らせを受けた夜、中野さんは柘榴酒を取り出して飲んだ。それはかすかなほろ苦さのある口当たりのいい酒だったという。 近年、ペット専門の霊園も全国に普及している。hanaの火葬をしてもらった霊園にも、人だけでなく一部にペット用の墓も備えられ、霊園の人に「こちらにどうですか」と誘われた。しかし、私たち家族はそれを断り、遺骨を家に持ち帰った。 いま家の中に安置している遺骨は、9月になれば庭に埋めることにしている。その場所は、妻の進言で庭から居間がよく見える金木犀の根元にすることにした。そこからは私がソファーに横になっている姿や妻が針と糸を使う姿がまる見えだ。家族の食事風景も目に入る。時々長女一家がやってきて、大騒ぎをするhanaのライバルの孫とダックスフントのノンちゃん、それを見守る長女と夫の光景も目に入るだろう。金木犀はいまの家に移ってすぐ植えた木だから25年以上になり、幹も太くなった。大きくなりすぎたため昨年秋、花が終わった後、思い切って枝を切り詰めた。hanaはこの先輩の木を敬い、安らかな眠りにつくのだろう。(続く)
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消えがてのうた part2 ボンボンがいた日々」はここから