小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1095 たばこ悪者の時代の頑固な友人 米ではついに千円条例

画像 米国最大の都市ニューヨーク市は、喫煙対策強化のために、たばこ1箱当たりの最低販売価格を10・50ドル(約1000円)にすることなどを盛り込んだ条例案を市議会に提出したという記事が先週出ていた。日本でも一時、たばこ1000円説が話題になったが、立ち消えになった。わが家の近くにある遊歩道のベンチの周辺では、たばこの吸い殻が散乱しているのをよく見かける。1000円時代になれば、そんな光景もなくなるかもしれない。 私自身、以前たばこを吸っていた。のどの調子が悪いため30歳を契機にやめて以来、縁が切れている。喫煙時代を振り返ると、食後の1本はたしかにおいしく感じ、酒を飲んでいる時もよく吸っていた。仕事をしている時も一服するといいアイデアが浮かぶと勘違いしていた。やめた当初は吸ってみたいという感覚に襲われることもあったが、いつしかそれもなくなった。たばこがなくても仕事は問題がなくやれた。いま思うと、たばこは習慣のようなものだったのだ。 ニューヨークの条例案には、販売店ではたばこの陳列を認めず、カウンターの下やカーテンの裏など人目につかない場所に置くことを義務付けており、ブルームバーグ市長は「たばこが目につくところにあれば、若者が吸ってみたくなる。条例案は次世代を喫煙による病気から守るためのものだ」(東京新聞)と話しているそうだ。たしかに、若いころにたばこを吸い始めた人が多いのではないか。好奇心で手に取り、いつの間にかニコチンの魔力に負けてしまうというパターンだ。私自身もそうだった。 たばこは悪者になった現代だが、野坂昭如に言わせれば「たばこは人生の句読点」(けむりの居場所)として作家には付き物だった。嵐山光三郎の「文人悪食」によれば、宮沢賢治は「肉も食べ、酒も飲み、たばこも吸い、高級料亭で芸者に指輪をプレゼントした」という。いまでもたばこと縁を切らない「意思が強い!」友人がいる。生来、頑固な友人は、たばこへの風当たりが強くなっても孤高を守り続けている。 日本に1000円時代がやってきても、たぶんやめないだろうから、日本たばこにとっては頼もしいお客さんといえる。海を隔てたニューヨークの話に彼がどんな反応を示すだろうか。電話をしてみるか。私が1000円説に賛成だといえば、どんな答えが返ってくるだろう。場合によっては、絶交だといわれるかもしれない。 写真 本文とは無関係です。朝の散歩道にて