小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

996 オリーブを「自立」の象徴に 九州・安徳台にて

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スペインやイタリア、ニュージーランドで広大なオリーブ畑を見たことがある。当時、土地の狭い日本ではオリーブ栽培は無理だと思い込んでいたが、九州を旅してその認識を改めた。日本のオリーブの最大の産地は香川県小豆島である。だが、いまや九州が小豆島に代わるオリーブ産地になりつつあるという。猛暑が続くある日、九州のオリーブ栽培の拠点を訪ねた。 九州には、「九州オリーブ普及協会」(本部・福岡市)というオリーブ栽培を支援する一般社団法人がある。会社を経営する百富孝行さんらが中心になって立ち上げた組織で、福岡市の隣町の筑紫郡那珂川町の安徳台には、協会が栽培しているオリーブ畑が広がっていた。安徳台という地名は、源平合戦の際、6歳で壇ノ浦から身を投げた安徳天皇が京の都から落ち延びる途中、一時身を寄せていたという史実から付けられたのだそうだ。 九州のオリーブ栽培のパイオニアは、大村湾に臨む長崎県長与町岡郷で「ながよ」というオリーブ園を営む進藤昭子さんだという。料亭の女将だった進藤さんは、夫が体調を崩したことをきっかけに料亭を畳み、耕作放棄になったミカン畑をオリーブ畑として活用し、2005年から独学でオリーブ栽培を始め、これまでに約500本を植えた。既にかなりの木が収穫できるようになったそうだ。 進藤さんに続いて、百富さんら「オリーブ好き」が集まって2009年に普及のための協会をつくったが、百富さんらは「あと1、2年で九州は小豆島を追い抜く」と意気込んでいる。小豆島のオリーブは、1908年(明治41)年4月、明治政府がイワシ、マグロなどの油漬加工に必要なオリーブオイルの国内自給を図るため、三重、鹿児島、香川3県を選び、小豆島では119アールの土地に519本の苗木を植えた。それが根付いて小豆島は日本のオリーブの島として知られるようになった。 100年の歴史を持つ小豆島の耕作面積は110ヘクタールといわれる。これに対し、九州では本場のイタリア・トスカーナから良質の実を付ける苗木を輸入し、栽培を拡大しており、長崎、熊本、福岡を中心に耕作放棄地や遊休地を利用したオリーブ栽培が増えつつあると聞いた。 オリーブと言えば地中海地方と思われがちだが、温暖化気候の影響で新潟のような寒冷地でも栽培可能になったことを知った。それを裏付けるように、オリーブ栽培を障害者の自立支援に活用している団体が新潟にある。「ひなたの杜」というNPOで、九州の動きと歩調を合わせるように耕作放棄地を借りてオリーブを植え、障害者とともに育てているというのだ。まだ実はつけていないが、近い将来、実を付け、障害者の労賃アップにつながる見通しだと、NPOの橋元雄二さんが話してくれた。 2つの団体が共催したフォーラムをのぞいて、興味深い話を聞いた。「オリーブは栽培を始めたからといって、すぐには実を付けない。長い目で見る必要がある。しかし、オリーブは推定千年も超えるという大樹もあり、一度作付すればあまり手間がかからず、長期間収穫できるので、障害者の支援には適している」というのである。橋元さんはそうした点に着目したのだそうだ。 オリーブは平和や勝利、長寿、友情など、いろいろな象徴としても使われ、国連とギリシャ旗はオリーブの木がデザインされている。では、日本で普及するオリーブは何の象徴になるのだろうか。フォーラムで九州や新潟の人たちは障害者の「自立支援」を強調した。とすれば「自立」の象徴として使っていいだろうと私は思う。
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ロンドンオリンピックが佳境を迎えている。古代オリンピックの開催時には、オリーブの冠をつけた使者が戦争の休止を告げて歩いたという史実があるが、21世紀、中東シリアの内戦は激しさを増している。オリーブ休戦が実現しない国々がロンドンからそう遠くない地域にあることも現実なのである。