小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

976 実をつけたジャガイモ 雨の日の冥想

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庭の一角にジャガイモとトマトとキュウリを一緒に植えた。もちろん、混植は邪道とは分かっている。いずれの野菜も梅雨入りとともに、急速に成長している。その野菜を見ていた家人が「トマトの実があんなになっている」と叫んだ。その声に呼応して、それらの野菜がある場所に行ってみた。たしかに、トマトの実のような小さな実がなっている野菜があった。 それはよく見ると、ジャガイモの幹についた実だった。これまで、貸農園でジャガイモを何年にもわたって植えたが、枝に実がなることはなかった。それ以前に花が咲いたころにはイモを収穫していたので、実がつくことはなかったのかもしれない。物の本によると、ジャガイモの花は摘んでしまった方が、イモの成長にはいいらしい。もちろん、枝の実は必要ない。だが、珍しいので、そのままにしておくことにした。 近くにあるトマトにも実が鳴り始め、キュウリも小指よりも小さな実がついている。適度な日照と水分によって、これらの野菜は着実に成長を続けていることを実感した。 雨が降る度に、アジサイの花の色が濃くなっている。梅雨はだれでもが憂鬱な季節である。唯一、アジサイの優しい花を見ると、カビが生えそうになる心に、潤いや爽快さを感じることができるのだ。
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憂鬱という言葉で連想するのは、日本が14年連続して自殺者が3万人を超える自殺社会になってしまったことだ。平均寿命が極端に短いロシアとともに自殺の多い国として国際社会では見られている。戦後、経済の高度成長を遂げ、国際的にも有数の豊かな国になったはずなのに、どうしたことだろうと思う。 本来なら成熟した社会になり、多くの国民は生きることに価値を見出していい。だが、いまの日本社会はそうではない。ジャガイモに実がついてしまったように、経済の高度成長以後もバブルという実をつけたままのあだ花経済に酔いしれた結果、日本という国の基盤が揺らいでしまった。 人類の歴史は興隆と没落の繰り返しだといわれる。イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビー(1889―1975)は「歴史の研究」という本で「どんな高度な文明でもいつかは内部から壊れる。それは内部の慢心によるもので、この歴史は繰り返される」と警鐘を鳴らした。ユーロ圏が崩壊しつつあるのは、トインビーの警告を裏付けていると思われる。 6月はアジサイのほかに「ジューン・ブライド」という言葉を連想する。この月に結婚式をする花嫁を「ジューン・ブライド」といい、ヨーロッパの伝説が由来だそうだ。Juneはローマ神話ユピテル(ジュピター)の妻ユノ(ジュノー)から取られ、ユノが結婚生活の守護神のため、6月に結婚すると幸せになると日本でも言われるようになったのだが、ヨーロッパの6月は空気が乾いた爽やかな季節だ。それに対し、日本は雨が多く湿度も高く、ヨーロッパとは異なる日々が続く。「ところ変われば・・・」なのだ。 以上は、雨の日の冥想。
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