小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

918 「七草に初風邪ひいて粥を食べ」 食の伝統、被災地では?

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富安風生は「ななくさもきのふと過ぎし身のほとり」(七草も過ぎ、松の内も過ぎた。閑日の身辺。松過ぎという時期の、ふと心をよぎった虚脱感=山本健吉)という、七草を題材にした句を残した。きょうは1月8日、七草も過ぎた3連休の中日である。 そういえば、昨日は七草だったが、七草粥(がゆ)ではなく、粥を食べて一日を過ごした。ことし初めて(当然!)風邪を引いて食欲がなかったからだ。 七草粥を食べる習慣を続けている家庭が現在の日本にどれほどあるかは分からない。わが家でもその習慣はない。だが家族のだれかが風邪をひくなどして体調を崩した際には、やはり粥を食べることが珍しくない。 粥はうまそうには見えない。しかし栄養があり、日本人の生活の知恵として風邪をひいたときなどに食べる習慣ができたのだろう。私の場合は少しだけ塩をまぶし、梅干しも入れるが、こうしたシンプルなものだけでなく、古来貴人から庶民が食べるものまでいろいろな種類があるようだ。 芥川龍之介の「芋粥」という小説には、山芋(現在の芋粥はサツマイモを使ったのが主流らしい)を使った粥が出てくる。平安時代の、芋粥に異常な執着を持ちいつかは腹いっぱい食べたいと思っている武士の話だ。当時の芋粥は山芋を切りこんで、甘蔓(あまかずら)の汁で煮込んだものだという。粥を辞書で引いてみると、広辞苑には「水を多くして米を柔らかに炊いたもの。固粥と汁粥の総称、特に汁粥」とあり、ウィキペディアでは「米、粟、ソバなどの穀類、豆類、芋類などを多めの水で柔らかく煮た料理」と、こちらの方が丁寧である。米が入っていない芋粥もあることが分かる。 食習慣は時代によって変化する。七草粥だけでなく、お正月にはお雑煮を食べる習慣が普通だった日本の家庭から、そうした習慣が次第に消えつつあるのではないか。赤飯や柏餅も含めてこれらをつくる家庭の方が珍しいのかもしれない。 比較的こうした食の伝統は東北地方で大事にされてきたのではないかと思われる。東日本大震災によって生活の場を奪われた被災地の人々は、この正月、どのような思いで雑煮を食べ、七草粥を味わったのだろうか。雑煮は食べても七草粥までつくる余裕はなかったかもしれないと想像する。(写真:知人から届いたメール年賀状より)