小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

909 大震災で示された子どもたちの潜在力  マイナスイメージの払拭を

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現代の子どもたちは無気力で、夢がない…。こんな見方が根強い。最近、福岡のNPOが発行した「ふくおか子ども白書」を見た。その中のアンケート(1600人の小中高生が対象)は、そんなイメージを裏付ける結果だった。 「疲れやすい」「学校に行き気がしない」「将来への夢や希望がない」というマイナスイメージの質問にそうだと答えた子どもの確率が高かったのだ。 私の子ども時代に比べ、いまの子どもは忙しすぎることは間違いない。便利な時代なのに、どうしたのだろうと思う。いわば「自己肯定感」がない子どもが増えているのだという。 だが、子どもには潜在的な力があると、早大文学学術院の増山均教授(教育学)は言う。増山さんは最近の講演で、こんなことを話した。 《3・11の東日本大震災は子どもの可能性を示した。被災地ではライフラインが断絶し、学校もなくなった。そんな中避難所で真っ先に立ちあがったのは子どもたちだった。岩手県山田町の避難所では10人の小学生がお年寄りたちのために肩もみ隊をつくった。仙台の避難所ではプールの水を汲んでトイレの掃除をし、支援物資にプラカードを張り、配付を手伝った。宮城県女川町の避難所では自閉症の子どもがピアノを弾いて被災者を慰めた。 茨城県では暴走族の少年たちが暴走をやめて避難所の荷物運びを買って出た。宮城県気仙沼では、子どもたちが避難所で「ファイト新聞」を発行し続けた。日本の子どもたちが集団行動を求めなくなったといわれて久しいが、こうした事例をみると、子どもたちが集団の組織能力を持っていることが実証された。教育学の専門家が考えていた「現代の子どもは集団行動をせず、自己肯定感がない」という特徴付けは覆されといっていい》 増山さんは、「子どもには大人よりも知性がある」とも話した。数年前、増山さんはスペイン・バルセロナの大学に研究のために留学した。ある日、長女から手紙が届いた。封を切ると、娘の手紙とともに2枚目に、3歳の孫娘が書いたという「手紙」も入っていた。母親がペンを持っているのを見て、「私もおじいちゃんに手紙を書く」といって、紙とペンをもらい、母親を真似して書いたのだそうだ。 ミミズがはっているような日本語にはなっていない手紙だった。でも、増山さんはうれしかった。初めての孫からの手紙であり、初めに「おじいちゃん元気ですか」と書いているように思った。最後は「お土産を楽しみにしているよ」と読むのだろうと想像した。 翌日、この手紙を大学の同じ研究者仲間に見せようと、手紙をコピーするために街のコピー屋に行った。いつもは無愛想なおばさんが孫からの手紙を聞くと、笑いながら増山さんが説明しないのに、最初と最後の読み方は同じだと話した。大学でもみんながその通りに読んだという。 増山さんは「娘の日本語の手紙はコピー屋のおばさんにも大学の研究者たちにも全く理解されなかったが、小さな孫の手紙は同じように読んでくれた。それは、子どもには万国共通の『知性と感情』があるからだろう」と述べ、被災地・避難所での子どもたちの行動や孫の手紙を通じて、子ども観を見直したと付け加えた。増山さんは今回の震災を通じて「豊かな可能性を開花させてやるのが私たち大人の責任だと痛感したという。 感性、潜在力は子どもの魅力であり、特徴だ。東日本大震災というつらく悲しい出来事があってもそれを乗り越える力が子どもにはあるのだ。そうした才能を伸ばしてやるのが大人の責任と義務だという増山さんの訴えは、説得力がある。 (写真は、デンマークの人魚姫像)