小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

846 夏の過ごし方 「ながら」は無用の節電の日々?

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夏になると、毎年のように電気は大丈夫か、水不足にはならないのかがニュースになる。いまのところ水不足は心配ない。では電気の方はどうなのか。私を含めて、多くの人たちが電力不足を気にしながら、暑い夏を送っているのではないか。 7月1カ月で見る限り、節電の効果があって電力危機は回避した。家庭に節電を求める政府の推計値が実測よりも2割も多い数字を使っていたという報道もあった。「水増し」の数字を使って、節電を求めたいたことに、ああまたかという思いしか浮かばない。 原発をめぐる「やらせ」問題も、関係者の焦りを感じるし、いい加減にしたらという思いになる。ただ、これらの報道について、評論家の寺島実郎氏はTBSのサンデーモーニングで「原発問題を矮小化している」と批判した。写真家の浅井慎平氏も同様のことを話していた。しかし、こうした事実を基に電力会社と政府・経済産業省自治体との関係を洗い直すことは、原発問題を矮小化するものではないと思う。こうした不正常な事実があったから原発の監視が緩やかになり、電力危機へと発展したのではないか。顔で人を判断するのはどうかとは思うが、古川という佐賀県知事の言動も信用できない。 もちろん、節電に協力している。家族からは「一番の電気使いだ」と非難されながら気を使っているのだが、まだ甘いといわれる。パソコンを使うときに、扇風機を回す(エアコンは我慢してスイッチは入れないようにしている)までは許せるが、テレビをつけるのは無駄遣いだというのである。 ラジオや音楽を聴きながら勉強し、TVを見ながら食事をするといったように、ほかのことをしながらでないと集中出来ない人を「ながら族」と呼ぶ。実は現代人にこうした人は多いのではないか。節電の夏にはこれら「ながら族」はNOなのだという。せいぜい私も気をつけようと思う。 手元のスマートフォンにある首都圏の消費電力を示すソフトによると、8月1日午後1時から午後2時までの消費電力は3547万キロワットで供給量の67・8%だ。日本人のまじめさを感じる数字だと思う。暑くても我慢し、耐えているのだ。 しかし、満員電車の中でスーツの上衣を着て汗だくになっている姿を見ると、こちらまで汗が出てくる。何をそこまでと思う半面で、環境省が推進しているポロシャツやアロハシャツを奨励する「スーパークールビズ」には、あきれた。軽装の率先実行ということだとうが、余計なお世話だと思う。(写真のような自然が近くにあれば涼しいのだが・・・)