小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

797 悲劇にくじないで 抗議する姿勢を忘れまい

ブログの更新を意図的にやめていたわけではありません。書きたいと思うことは多々ありました。いざ、パソコンに向かうとやはり地震津波原発のことが頭から離れず、指先が止まってしまうのです。

テレビで繰り返し流れた被災地の映像、新聞で報じられる悲劇に心がくじけたのかもしれません。

3・11から日本は何かが変わったような印象を持ちます。テレビではお笑番組が復活しましたが、被災地から離れた東京やその周辺都市の人々から笑顔が消えたように思うのです。それはそうでしょう。500年、あるいは1000年に1度という未曽有の大震災に遭遇し、そのあまりの惨状に心が凍りついた方は多いでしょう。被災地の方々は絶望の末に涙もかれはてていることと思います。

雪の研究者として知られる中谷宇吉郎は「抗議する義務」というエッセーを書いたことがあります。それは、大事な場面で物を言うことを控えることが多い日本人への注文だったようです。このエッセーは昭和20年代のものですが、いま読み返しても色があせないのは日本が60年という年月が過ぎてもそう変わっていないことを示しています。

中谷はエッセーで「友人から、日本人は抗議する義務を知らないから困る。不正があった場合に抗議するのは権利ではなく義務なのだと聞かされた」と書き、具体的な例を挙げて、理不尽なことには抗議すべきだと主張しています。

中谷はこんな例を挙げています。「電車を待っていて長い列をつくっているのに、脇から列に割り込んで乗ってしまう人がいる。女性などは一人くらい割り込んでも、ちょっといやな顔を するだけで、そのまま黙って続いて乗ってしまう。だが横から割り込んではいけませんと抗議すべきなのだ。黙許することは道徳的罪悪なのだ。割り込んだ 人のために自分が電車に乗れなくなったら抗議するだろうが、黙許するのは被害が自分に及ばないからだ。しかし、その被害は誰かに及び、最後に一人取り残される組に入るかもしれない。この場合、列の最後の方にいる未知の人のために抗議をするのは義務なのである」

この例はささいなことですが、今回のように地震津波で多くの命が奪われ、原発事故で放射性物質の拡散におびえる私たちは、中谷の言うように、理不尽なことがあった場合には毅然として「抗議する姿勢」を忘れてはならないと考えます。

今回の東日本大震災は、「大災害」といわれます。たしかに、M9という世界の歴史においてもまれな巨大地震でした。「想定外」という言葉も使われています。でも、人災の側面もかなりあるのではないでしょうか。地震津波で壊滅状態になった北海道の奥尻島の悲劇は1993年7月12日のことです。津波の恐ろしさがクローズアップされたにもかかわらず、本州で奥尻の悲劇を教訓に津波対策が強化されたとは聞いたことがありません。

原発もそうでした。二重、三重のあるいはそれ以上の安全対策がとられていなかったために、いま現場では多くの人たちが危険にさらされながら完全制御、安定化の作業をしているのです。

今回の大震災に遭遇して日本人の冷静さ、忍耐強さが海外メディアに報じられています。たしかに、暴動や略奪は起きていません。でも火事場ドロボーは横行し、義援金詐欺も増えていますから、それほど誇ることではないかもしれません。

こうした逆境のときだからこそ理不尽なことには抗議し、正しいことにはもろてを挙げるという毅然とした姿勢が必要だと痛感するのです。東北人は忍耐強いのが信条といわれています。そして寡黙です。でも遠慮は無用です。これから復興への長い道のりが続きます。それは果てのない闘いともいえるでしょう。その道のりの中で声を上げ続けてほしいと願うのです。