小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

786 和の文化はゆすりたかりなのか 米日本部長の極論に驚く

日本は「和の文化」だと一部知識人が使い、欧米の人々にもそう思われているようだ。そうなのだろうかと、米国務省のメア日本部長(前駐沖縄総領事)の沖縄をめぐる問題発言報道を見て考えた。

ウィキペディアで和の文化を引くと、日本民族の文化の本質は個性を重視するものではなく、集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した文化であると書いてある。いわば合意の文化なのであろう。メア氏はこの考え方をさらに拡大解釈する。

共同通信の報道によれば、メア部長は国務省で東京と沖縄へ約2週間の研修旅行をするワシントンのアメリカン大の学生ら14人に対し、出発直前の昨年12月3日、沖縄問題を中心に日本の現状に関して講義をした。

講義を聞いた複数の学生がオフレコ(公開しないこと)にもかかわらずメモをし、それを基に「発言録」(A4判3ページ)を作成した。メア部長は「日本の和の文化とは常に合意を追い求める」と説明したうえで「日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをしながら、できるだけ多くの金を得ようとする」と述べたのだという。

沖縄については、日本政府に対する「ごまかしとゆすりの名人」「怠惰でゴーヤーも栽培できない」などと批判し、普天間飛行場は「(住宅地に近い)福岡空港伊丹空港と同じ」で特別に危険でないとし、日本政府は仲井真弘多沖縄県知事に「お金が欲しいならサインしろ」と言うべきだと語った。

メア氏は「オフレコ(公開しないこと)で行った」とし、発言録は「正確でも完全でもない」と話しており、一方発言録を作成した学生たちは「メア氏は間違いなくこのように言った」と共同通信記者に証言。学生は「米政府の地位ある人物の偏見に満ちた言葉にとても驚いた」「人種差別的発言と感じた」などと話しているそうだ。

普天間基地の移設問題を解決できない日本政府に対するいら立ちが背景にあり、日本に対する本音なのであろう。しかし、和の文化という合意文化を「ゆすり」や「金を得る手段」と断定し、沖縄の人々を「ごまかしとゆすりの名人で、怠惰でゴーヤーも栽培できない」というのだから、開いた口がふさがらない。それほどに米国人は優れた国民なのだろうか。

和の文化というが、国民生活より党利党略で足の引っ張り合いを続ける昨今の日本の政治状況をみていると、とても和とは程遠い姿ではないか。

裁判所の中には「調停」という合意を基本にするシステムがあるが、現代の日本社会は米国流の経済最優先の思想に染まった学者がブレーンになった小泉政権時代の規制緩和政策・構造改革路線に端を発して、和の精神は失われつつある。

しかも和の精神を「ゆすり、たかり」に使うようなずるさは日本人にはない。それがあれば、隣国のように外交的にももっとうまく立ち回っているはずだ。米国の日本部長がこの程度の認識とは、情けない。彼の妻は日本人だという。この発言を知った妻はどんな反応を示すのだろうか。