小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

725 たかがタコでも パウル君の生涯

犬が人を噛んでもニュースではないが、もし人が犬を噛んだらニュースだという話をメディアに身を置く友人から聞いた。

極端なたとえで、今の時代では後者はボツになるだろうが、、要するに、新聞やテレビは珍しいものを追い求め、読者や視聴者もそれを楽しみにしているというわけだろう。ワールドカップ南アフリカ大会の勝敗予想を的中したといわれるタコのパウル君がドイツの水族館で死んだニュースが大きく扱われた。これも「珍しいもの」的な感覚でもてはやされた人畜無害なニュースといっていい。

パウル君は暗い世相の中で、明るい話題を提供した功労動物だった。パウル君のワールドカップの勝敗予想が的中したことについては、タコの習性を利用したのだという解説があった。とすれば、それを考えた人間は頭がいい。あれほど人間をうならせたパウル君は、現実には自分の寿命は予想できずに短い生涯を終えたのだった。

パウル君が死んだことに対し、さまざまなコメントが出ている。「たかがタコではないか」と思いがちだが、それだけ2歳半の生存期間の中で私たち人間に与えたインパクトは大きかったのだろう。

アルゼンチンの前監督、マラドーナのコメントは彼らしい。「この予言タコ野郎、お前が死んでうれしいよ。W杯で負けたのはお前のせいだ」というのだから、大人気ない。人間に利用され、短い命を終えたのだから、もう少し暖かい言葉をかけてやれなかったのだろうか。

だれしも、動物とのかかわりがある。家畜やペット、鳥たちの思い出は数多い。馬の背中に乗り、庭の大木の穴に産んだフクロウの卵を取ってしまった少年時代をいまでも忘れない。そうした動物たちは、私の心の友みたいな存在だった。

現在は、犬のゴールデンレトリーバーhanaが家族の一員になっている。8歳だが、ますます人間の言葉を理解するようになり、食べ物に対する要求は激しい。私のそばに来て「グウグウ」と喉を鳴らすのだ。

そんなhanaに向かって私は言う。「生まれ変わったら、人間になりなさい。そしておいしいものを食べなさい」と。パウル君には「人間に生まれ変わって、予想の難しさを教えてあげなさい」と、言うべきか。