小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

699 政治家の悲劇 集中豪雨の夜に

ゆりかもめに乗って国際展示場で開かれているイベントに行こうと有明で降りたら、ものすごい雨になっていた。

歩いて200メートルほどなので雨の中を歩き始めたら、横殴りの雨に襲われて全身が濡れネズミになり、靴の中も雨水でぬるぬるする。仕方なく、途中のがん研病院に逃げ込んだ。

これほど強い雨に遭ったのは最近では記憶がない。台風9号が予想よりコースを変えたためだが、猛烈な暑さが続いていたので、植物には干天の慈雨になりそうだ。

早めに帰宅して、テレビのニュースを見ていたら、鈴木宗男衆院議員の受託収賄など4つの事件で最高裁が上告を棄却する決定を出し、鈴木氏の懲役2年の実刑が確定したと報じていた。

鈴木氏が秘書として仕えた中川一郎衆院議員は自殺、鈴木氏とその後継争いをした中川昭一財務相は昨年10月急死している。鈴木氏の周辺にはなにやら悲劇の影が漂っているように見える。

鈴木氏はいわゆる「政治とカネ」の問題で検察の標的になった。そして、実刑が確定したのである。一方、民主党の代表選を争っている小沢一郎前幹事長も秘書3人が政治資金規正法違反で起訴されている。

小沢氏自身に対しても検察審査会が一度「起訴相当」の議決をし、現在も2度目の審査を続けている。小沢氏は、検察が不起訴処分にしたことを盾に、代表選立候補に問題はないという認識を示し、「一般の素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と検察審査会を「素人の集団」のように言い切った。

果たしてそうだろうか。検察審査会は一般社会の「常識」で検察の判断を点検するものだ。裁判員裁判制度も裁判に国民の意思を反映させるし、欧米の陪審員制度も同じ考え方で採用され、根づいている。だから、小沢氏は考え違いをしていると思うのだ。

しかし、小沢氏と同じような考えを公然と唱える著名なジャーナリストがいることに驚いた。

毎日新聞OBの鳥越俊太郎氏だ。鳥越氏は毎日新聞で続けている「ニュースの匠」というコラムで「またぞろ政治とカネ」と題して小沢氏に関して触れ「検察審査会は“市民目線”と新聞では持ち上げられてはいますが、しょせん素人の集団。もし強制起訴になれば小沢氏も堂々と受けて立てばいいだけの話なのです」と記しているのだ。

検察審査会のことを鳥越氏はどれほど理解しているのだろうか。〈別の日の同じ番組で小沢氏が出演した際、大谷昭宏氏も「捜査のプロである検察が起訴できなかったものを、素人の検察審査会が起訴(の議決)したところで、有罪判決なんて出るわけがない。小沢さんは濡れ衣を着せられたことに対して何らかのアクションを起こさないんですか」と、検察審査会素人説を力説していたことも驚きだ〉

その前段では、テレビ朝日のモーニングショーで、コメンテーターとして出演した週刊朝日編集長の、山口一臣氏が小沢氏の疑惑について「あの事件は虚構ですよ」と語ったことに触れ、「私もそう思う」と、山口説に賛同したことを書いている。

東京地検特捜部の捜査に関して、最近「国策捜査」「捜査のための捜査」といった批判が強い。この批判はかなりの確率で当たっていると私は思う。

しかし秘書3人が逮捕、起訴された小沢氏が全くシロだとはだれも思わないだろう。灰色なのである。そうした灰色の政治家の疑惑について検察審査会が一度は「起訴相当」と議決した。鳥越氏や山口氏が主張するように決して「虚構」とは言えないのではないか。