小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

626 言葉の重さ 北村薫と政治家と

画像 北村薫「鷺と雪」で2009年に直木賞を受賞した。「街の灯」「玻璃の天」に続く社長令嬢とお抱えの女性運転手、ベッキーさんが謎に挑む「ベッキーさんシリーズ」の3作目である。 3つの作品を連続して読んで思ったのは「言葉の重さ」である。先ごろ亡くなった井上ひさしは、遅筆で知られた。しかし、彼もまた言葉にこだわった。 作家にはいろいろなタイプがある。作品を次々に発表する速筆の人、井上に代表される遅筆の作家。北村がどちらに属するかはよくは分からないが、作品から判断すると後者に違いない。 最近は政治家の「言葉の軽さ」が際立っている。鳩山首相の「朝令暮改」的言動は、あきれるばかりだし、紳士の国の英国のブラウン首相も会ったばかりの有権者の悪口を言ったのが発覚し、支持率が急降下していると新聞に出ていた。 ブラウン氏は遊説先で労働党支持者の女性と移民問題について議論したが、終了後に車の中で「偏見だらけの女性じゃないか」と悪口を言ったことが、外し忘れた民放のマイクに拾われてしまった。女性宅に行き謝罪したそうだが、この6日に実施される英国の総選挙後の辞任は避けられない見通しだという。 北村は「街の灯」の中の「虚栄の市」で書いている。「天からの眼を思った。我々を見つめている眼があるとしたら、その瞳に、我々の日々の行いはどのように映っているのだろう」と。ブラウン氏にこの文章を教えてあげたかった。さらにもう一つ「善く敗るるものは滅びず」(鷺と雪)という言葉も付け加えたいとも思う。 「鷺と雪」では「前を行く者は多くの場合―慙愧の念と共に、その思いを噛み締めるのかもしれない。そして、次に昇る日の、美しからんことを望むものかも」というベッキーさんのセリフも用意されている。この言葉に対し、主人公の英子は「私はヴィクトリア女王ではない。胸を張って≪I will be good≫とは言えない」と思う、と続ける。私は、北村の該博な知識に驚くばかりだった。 (物の本によれば、ヴィクトリアは18歳のときに父王が亡くなり、朝の5時に起こされて、女王になることを知らされた際に「うまくやるわ」あるいは「まかせておいて」を意味するこの言葉を残したという) ベッキーさんシリーズが、このまま終わるのは惜しい。「鷺と雪」は昭和11年(1936)の2・26事件で幕を下ろす。この後、日本は日中戦争(1937年~)、太平洋戦争(1941年~)という泥沼の戦争へと突き進んでいく。この時代を北村の筆で描いてほしいと思うのは私だけではあるまい。