小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

596 高橋選手の故郷で  出会った柔道少年

画像 カナダのバンクーバーで開かれている冬季五輪の男子フィギュアで銅メダルに輝いた高橋大輔選手は、岡山県倉敷市で生まれ、高校生まで過ごした。その倉敷市に行ってきた。 JR倉敷駅前には、高橋選手の五輪出場を祝う横断幕が掲げられていた。地元の期待通り、高橋選手は大けがを克服して、メダルを取った。それは、倉敷の人々には希望の灯のように思えたに違いない。 倉敷は白壁の町並みの「美観地区」を中心にした観光の街であり、水島コンビナートを持つ工業都市の側面があるという。一年を通して、観光客は多いようだ。しかし、駅を出て地下道に入り、そこを上ると日本の地方では、珍しくない「シャッター通り」があった。ほとんどの店が閉まっていて、アーケード街は薄暗いのだ。 だが、子どもたちは元気だった。2つの倉敷市内の小学校に行く機会があり、子どもたちとそれぞれ1時間以上をともに過ごした。校庭でバスケットボール遊びをしている子どもたちの中で1人の大柄の小学生が目に付いた。顔はあどけないが、体は一緒にいる子どもたちに比べ群を抜いている。けっこう体は柔らかい。 興味があった私は「何かスポーツをやっているの」と声をかけた。すると「柔道です」という答えが返ってきた。子どもというより、少年というべきか。かれは態度こそふてぶてしいが、声だけを聞いていると、やはり子どもだった。小学5年生というのだ。 私の小学5年生当時を思い浮かべた。ずうっと、それまで前から数えた方が早いほど背は小さかった。柔道少年と比較したら、たぶん体重は半分、身長もかなり低いはずだ。 高橋選手がフィギュアスケートを始めたのは、8歳の時だという。それから15年の歳月が流れ、2回目の五輪でメダルを取るまでに成長した。順風満帆の時に、右足の靭帯を損傷する大けがをして、1シーズンを棒に振るという苦しい体験をしたからこそ、精神力もたくましくなったのだろう。 人生では、目標を持つことが大切だ。「夢」とまでは行かないまでも、目標を持つことによって、前向きな生き方ができるのだ。バスケットに興じていた大柄の少年は、柔道という目標を貫いてほしいと思う。倉敷生まれで高橋選手の後に続くのは、ひょっとしたら彼かもしれない。画像