小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

595 光の季節の前に 冬の風を感じて

このところ、寒い日が続いている。カナダのバンクーバーでは冬のオリンピックが始まった。

2月も半ばなのだから、これが普通なのだが、あたたかさに慣れてしまった体には、早朝の風の冷たさがみにしみる。山本健吉編の「句歌歳時記」をぱらぱらとめくる。日本の現状を表す暗くて寂しい2つの句が見つかった。だが、これから「光の季節」がやってくる。

※冬の風人生誤算なからんや 飯田蛇笏

山本健吉の解説によると、蛇笏の晩年、予期せぬ不幸が重なったという。(解説より 生涯の終りに近く、ふと嘆息をもらす。山棲みの明け暮れに、冬の風は冷たい)

まるで、今の日本経済みたいではないか。あるいは、リコールに揺れるトヨタにも共通する心境だ。

※北風にたちむかふ身をほそめけり 木下夕爾

(ひとり北風に立つ孤影の、さびしさ、いさぎよさがある)

人間は実は孤独である。冬の夕方、だれもいない道を歩くと、それを実感する。

2つとも何となくさびしい句である。次の句は「光の春」を思わせる希望を詠んだものだろう。

※二月はやはだかの木々に日をそそぐ 長谷川素逝

(2月の枯木に、にぶい日光がそそいでいる。『二月はや』は、春の近さを感じ取っているのだ)

多くの日本人選手がバンクーバーで北風に向かい、世界の強豪と戦っている。まだ日本人選手には日光は注いでくれない。メダルを取って、一番早く春を感じ取るのはだれなのだろう。