小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

594 国母とライ麦畑の少年 異端の五輪選手

画像 バンクーバー五輪スノーボード代表、国母和宏の「腰パン」問題の報道を見ていて、1月27日に亡くなったアメリカの作家J・D・サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公、ホールデン・コールフィールド少年を思い浮かべた。 この小説は、学校の成績が悪く3校目の学校も退学が決まった少年が寮を飛び出し、家に帰るまでの3日間、ニューヨークの町をうろつく話だ。大人への反抗、アルコールやタバコの乱用、女性への憧れ、周囲の人間とのあつれき・・・。そんな要素を取り入れた作品だ。 国母の腰パン姿は、開会式への出席自粛、記者会見での釈明という問題にまで発展してしまった。「だらしない、日本の恥だ」とか、「オリンピックをなめている」といった批判が相次いでいるそうだ。一方で、擁護派からは「スノーボーではあれが普通であり、彼は自分のスタイルを貫いている」という声もある。 オリンピックは「国威発揚」の場である。高い税金を使って選手を派遣するのだから、選手には活躍してほしいし、選手には模範的行動を求めるのが一般的感覚だろう。 しかし以前のオリンピックがアマチュア選手だけの「聖地」だったのに対し、現在のオリンピックは、アマもプロも一緒になった「商業優先」の大会になっている。そうした背景をみると好き嫌いは別にして、国母のような異端の選手が存在するのは仕方がないことなのだ。 国母が橋本聖子団長と記者会見している姿を見て「まだ子どもだなあ」と思った人が多かったのではないか。スノーボーが大好きで世間知らずな少年(大学3年生だから、青年か)と私の目には映った。まるで、ホールデン・コールフィールド少年のようなのだ。例によって、格好のネタと飛びついたメディアにたたかれた。2度目の記者会見の少年のような顔を見ていたら、好成績を残してほしいと応援したくなった。 国母が出席できなかた開会式をテレビで見た。何と聖火の点火まで3時間もかかる長い開会式だった。北京五輪の開会式も時間が長くて選手たちがかわいそうだと思った。眠そうな顔をした選手もいたが、ビデオカメラを回していた高木美帆は長いセレモニーを楽しんだのだろうか。 今回は選手たちもスタンドの椅子席に座ることができたので、先住民の文化と自然を強調したという長いセレモニーにも我慢ができたかもしれない。それにしても、あまりにも長いので、途中でトイレに行きたくなったらどうするのだろうと心配をしてしまった。もしかして、国母は「出ないでよかったよ」と思ったかもしれない。