小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

504 肝高の阿麻和利・東京公演  ありがとう沖縄の子ら

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「沖縄の子どもたちよ、ありがとう」。正直なところ、こう思った。8月19日夜、東京・新宿の厚生年金ホールで行われた現代版組踊「肝高の阿痲和利」の舞台を見る機会があり、そのすさまじいばかりのエネルギーに圧倒され、こんな感想を持った。 この舞台には、雅楽篳篥(ひちりき)というオーボエに似た管楽器を操る東儀秀樹さんも出演、子どもたちの「動」のイメージに対し、対照的な「静」の演奏を披露した。 組踊は沖縄の伝統芸能で、「肝高の阿痲和利」は演出家の平田太一さんが現代風にアレンジした。組踊はミュージカルに似ており、世界遺産に指定されている沖縄県うるま市の「勝連城(かつれんぐすく)」の15世紀当時の城主だった阿痲和利の生涯を描いたものだ。脚本、舞台監督、演出を除き、役者、踊り手、音楽を中学、高校生たち約100人が担当した。 冒頭の平田さんのあいさつに続き、東儀さんが登場し、心にしみる篳篥の音色がホール中に静かに長く響き渡る。この後、子どもたちが登場しダンスと芝居がミックスした阿痲和利の物語が進んでいく。琉球史では琉球王朝の打倒を図り暗殺され、逆賊扱いになっている阿痲和利だが、舞台では肝高(誇り高い)の志を持ち、領民を大事にする英雄として描かれている。しかし阿痲和利は非業の死を遂げ、領民たちは嘆き悲しむ。こうした英雄の出現から最期までを描いた組踊は、舞台上だけでなく客席側でも演じられ、ホール全体が熱気に包まれた。 演じた子どもたちは、全員がうるま市内の中高生で、配役は大人が決めるのではなく、子どもたちの話し合いで選ぶのだそうだ。主役の宮里成明さんは高校1年生で、5代目の阿痲和利役だ。(以前にリハーサルで会ったことがある4代目の登川航さんはことし3月に高校を卒業し、宮里さんと交代した) この舞台は1999年に、当時の勝連町教育委員会が、子ども達の感動体験と居場所づくり、ふるさと再発見などを通じて地域おこしをすること目的に企画。2000年3月に初演以来、沖縄を中心に150回以上公演され、昨年はハワイでも公演した。 東京公演は6年ぶりだった。東儀さんは、実際の勝連城跡をライトアップして舞台とした07年11月17日の公演に特別出演しており、阿痲和利のこの組踊に対する思いは深いようだ。 途中15分の休憩を挟んで、3時間に及ぶ公演が終わると、満員の観客からはスタンディングオベーションが起き、熟年の男性客は「何度見てもいい。見るたびに元気をもらい、1歳ずつ若返るようです」と話していた。東儀さんら出演者は客席まで降りてきて中央の通路でさらにあいさつし、興奮した観客から再び大きな拍手をもらった。 演じる側のエネルギー消費は大変なものだと思う。そのエネルギーを受け止め、残暑が続き疲労ぎみの日常だが、私も内部から力がわいてくるような思いを持った。何よりも、ホール内を動きまわる子どもたちの表情がよかった。笑顔に見とれてしまった。久しく、このような笑顔を見たことはなかった。(写真は舞台終了後、ホールの外で観客にあいさつする東儀さんら)