小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

499 ビル屋上の蜜蜂

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東京都心(赤坂1丁目)のビルの屋上でハチミツをご馳走になった。それは全く偶然の出来事だった。 台風が去って夏空が戻ったきょう、東京の空を見つめようと屋上へ出るようとした。ドアを開けると左側に網で仕切った小さな部屋があり蜜蜂の巣箱が何個かある。そこで1人の男性が何やら作業をしている。屋上にはだれもいない。残暑は厳しいが、吹く風は次の季節を予感させる優しさがあった。 東京の空をデジカメで撮影した帰り、蜜蜂が気になり、作業中の男性に声を掛けた。話を聞くと、彼は岩手県で手広く養蜂場を営む藤原誠太さんの弟子だと自己紹介した。藤原さんとは2年前にお会いしたことがある。創業が明治34年の養蜂場の3代目で、蜂蜜の研究開発にかけては日本の第一人者といえる。 なぜ、藤原さんの弟子が東京都心のビル屋上で蜜蜂の世話をしているのだろうか。実は、藤原さんの指導で、銀座をはじめ東京や横浜の数ヵ所のビル屋上には、こうした蜜蜂の巣箱が置いてあるのだ。東京都心部はビルが乱立し自然は少ないと思うが、そうではないらしい。蜜蜂が好む花がけっこうあるというのだ。 都心のビルの屋上で作業をしていた男性は、銀座のオルト都市環境研究所に勤務する岡田信行さんという1級建築士だった。銀座の養蜂を知った岡田さんは藤原さんに弟子入りし、蜜蜂の習性を勉強、ボランティアとして東京や横浜のビル屋上に設置してある巣箱の手入れを手伝っているという。 赤坂のこのビルには3つの巣箱があり、最盛期は3万匹の蜜蜂がいたという。現在でも1万匹以上が現役として活躍し、2週間ぶりのこの日は用意した20キロ入りのポリタンクの3分の2以上のハチミツを収穫した。 岡田さんによると、蜜蜂の行動範囲は約2キロあり、このビルに近い皇居も格好の蜜採取の場所だ。岡田さんは蜂の生態を知って、東京都心の自然に興味を持つようになり、皇居や赤坂離宮を身近なものに感じるようになったという。私が岡田さんと話をしているところに、このビルに勤務する人たちがやってきて、話の輪に加わった。 岡田さんの話は続く。ミツバチの寿命は30―40日ほどで、1匹の蜜蜂が生涯かかって作るハチミツの量はおよそティースプーン1杯しかないそうだ。 「私はここにいる皆さんが東京都心でも蜜蜂が飼えるのだと分かったことをきっかけに、もっと自然に興味を持ってほしいとも思います。この蜂蜜ひとつで、今まで何の関係もなかった別の会社の人たちや職場の上下関係にかかわりなくコミュニケーションができるという点でも養蜂という分野に意味を感じています。ハチミツがおいしいというきっかけからで構わないのです。おいしいとか、こんなにたくさんという味覚や視覚で自然を感じて、さらに意識的に自然を考えるようになることはとても素晴らしい活動だと思っています」 岡田さんから話を聞きながら、蜜を指に取りなめてみた。濃厚なのだが、意外にさっぱりしている。働き蜂に心の中でご苦労様と礼を言った。藤原さんや岡田さんは、多くの蜜蜂たちに、頑張れと声を掛け続けているのかもしれない。 自然とは縁が薄いと思われた都心のビル。だが、蜜蜂が活躍する環境はあるようだ。この2キロ以内にあるソメイヨシノユリノキマロニエトチノキ、ミカンさらにエンジュの花などから蜜が取れるという。東京も満更ではないのだ。岡田さんの話を聞きながら「自然との共生」という言葉を思い浮かべた。