小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

466 福島にもヴォーリズ作品 終戦秘話にも登場

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ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」という米国人の名前を時々聞くことがある。最近も福島を旅して、その名前を聞いた。 福島市内の若者たちが町おこしのために作った市内案内のパンフレットにもその名前が掲載されていた。実業家であり、建築家だったヴォーリズマッカーサー近衛文麿との天皇の処遇をめぐる仲介工作もとったという終戦秘話もある。 福島市には、ヴォーリズが設計した教会が2つある。両方とも中心部にある福島教会と新町教会だ。2つの教会は直線で7、800メートルしかなく、この通りは「ヴォーリズ通り」と呼ばれている。ヴォーリズが設計した教会がこのように近距離に2つもあるのは珍しいそうだ。 ヴォーリズは1880年に米国のカンザス州レブンワースで生まれ、1905年滋賀県立商業学校(現在の滋賀県八幡商業高校)の英語教師になる。その後日本国内で多くの西洋建築の設計を手掛ける。 同志社大学神戸女学院はじめ大学や教会、一般住宅と彼の手による建物は1万件以上といわれる。昨年3月訪れた近江八幡でも彼の建物がかなり残っていた。しかし、すべてが保存されているわけでもないようだ。 彼はメンソレータムを普及させた実業家だが、終戦直後、天皇を戦犯に指定しようとするマッカーサー元帥を近衛文麿首相が説得するため会談をしたが、これを仲介したのがヴォーリズだったという。 戦後かなり経てからこの事実を東京新聞が報道し、ノンフィクション作家、上坂冬子さんも雑誌に掲載した確度の高い話だ。 ヴォーリズ近江八幡の自宅の近くにあった「たねや」という店でバウムクーヘン作りを指導したという。これがきっかけで、たねやはクラブハリエという有数のバウムクーヘンを製造し、現在では日本でも人気ナンバーワンになっているという。(白象のきまぐれコラムより)。この話を読んで、ヴォーリズを一層身近に感じた。 日本では西洋建築を日本に広めた人物として知られているが、知り合いの米国人に聞いたらヴォーリズの存在自体を知らなかった。 もちろんバウムクーヘンの話も初めて聞いたといい、「バウムクーヘンアメリカではそんなに人気のあるお菓子ではありませんよ」と付け加えた。(写真は福島教会、日本基督教団福島教会のHPより)